人気ブログランキング | 話題のタグを見る

[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―

 “高齢者”が、コロナ禍の蔓延の中で特別な位置づけを与えられることが多くなった。

 これまで筆者は自分がその位置を占めることについてほとんど意識することがなかったが、こうなってみると新型コロナワクチン接種の対象として優先されるということで、意識せざるを得なくなったのです。

 そんな中で、新型コロナウイルス感染症と切り離しても、近年気になってきたのが“老々介護”という社会問題です。そこでは被介護者としての高齢者と介護者としての高齢者の係わりが、両者の負担や苦悩をもたらし、時には、解決困難な悲劇的事象として顕在化してしまいます。


 筆者の母は95歳を超えましたが、共に暮らしてきた筆者自身と妻も後期高齢の入口にあり、コロナ禍の中で一層“老々介護”の当事者としての対応に迫られているところなのです。もちろん、公的保険に支えられた、現行の医療・福祉の社会システムは、老々介護にも手厚い支援を提供できる態勢を用意してくれていると実感していますが、どうしても被介護者と介護者の間の根源的なこころの襞が気になっており、そうした様相を、断片的に、母の被介護者としての目線から振り返ってみたいと思います。


◆“海辺の一日”◆

 旧知の友人に贈られた創作絵本“海辺の一日”は人生の終末を待つ老婆の心の内を写し出してくれた。

[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17101090.jpg
[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17044382.jpg
[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17080134.jpg












[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17191674.jpg[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17193399.jpg [No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17195856.jpg[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17194908.jpg












[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17202654.jpg[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17203300.jpg










[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17204397.jpg[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17374061.jpg

















◆終末期に備える◆
 長男夫婦が定年退職で新潟から実家のあるこの鎌倉・稲村ガ崎に戻ったのは、2012年4月で、9年前になる。すでに私の夫は他界しており、86歳の私との同居に当たりこれまでの和風の古民家を改築するのはあきらめ、2011年秋には新たに2世帯住宅(1Fは私、2Fは長男夫婦の居住)に建替えられた。
 その当時は、私は自立生活を望んでいたので、玄関は共用にしたものの、ほぼ完全にキッチン、リビング・ダイニング、寝室、トイレ、入浴/シャワーを1,2階に併設する形をとってくれた。

◇2012年 新たな住まいでの自立暮らしを始めて◇
[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17502378.jpg 新居には、潮風が緑の谷戸を渡ってくる。そして、その2階からは水平線も遠望できる。
 各フロアーの部屋間に凸凹や段差はなく(写真)、車いすでも、そのままトイレや浴室にも入れる。
 以前の家のような冬の隙間風もなく、家の前を走る車の騒音も聞こえない。
 オール電化で、湯沸しや台所での煮炊きも安全・安心となっている。
「お祖父さんにも、僅かな期間でもよいので、この家に住まわせてあげたかった」

 食事の献立も息子達とは別立にし、息子の車で週に数回、七里ヶ浜沿いの国道を経て、スーパーでの買い出しに[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_17565055.jpg連れていってもらった。生鮮食材や調理済みの食品を買ってきて、自分で簡単な炊事を行っていた。ですから
 「清掃、洗濯など家事を含めて、息子達にさほど面倒をかけないでやれている」
との自負もあった。

 米寿の祝いには、二人の息子の家族が、横浜の大桟橋近くのレストラン“鎌倉山”に集ってくれた。
 「愛らしいひ孫からの絵皿のプレゼントは今も大切な宝物」写真
 この年は、長男夫婦が東京、箱根、勝沼など、大小の旅行に連れ出してくれ、楽しい時を過ごせていた。


◇2013年~2014年 新たな住まいで自立暮らしを始めて◇
 日々のお付き合いは、近所の同年輩の方では、毎朝の海辺の散策の同行者がお一人、時折の交流者が数人おられ、また遠方では長年に亘る交友を続けてきた方が県内に二人、東京に数人おられて、自分の体もそれに応えられる状態をなんとか維持できていたことは、とても嬉しいことだった。
 夫の七回忌、生前はしばしば足を運んだ湘南の地・藤沢の料亭“幸庵”に親戚一同が集い、その後も夫の親近者の方々が、新居にお寄りいただけたのは何よりの供養であった。
[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_05245461.jpg 2013年9月、久々のミニ家族旅行で西伊豆の堂ヶ島温泉へ。三島のうなぎで昼をすませ、旅館「清流」に16:00到着。眼下に駿河の海を望みながら宿泊部屋のベランダの丸桶風呂につかった(写真)。そして夕陽が海面にオレンジ色の光跡を残し没して行く様に、身を委ねた。
 2013年の年末には、体力、運動能力および認知能力の維持を意識するようになり、介護保険によるレベル「要支援2」を得られて、2014年2月から「リハビリ施設での運動系のデイサービス」を少し
[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_05305479.jpgずつ受け始めました。時には、張り切り過ぎることもあったが、夏には杖なし歩行も可能となるなど、その効果を実感できるようになっていた。
 2014年5月、横須賀市の花の園を巡った。武山から山側に少し入った大多和のつつじ園、急勾配の丘一面にビッシリと深紅の花が群生していたが、無理をせずに息子達の登坂散策を見守っていた。引き続き衣笠方面の横須賀しょうぶ園写真)を訪ねた。緩やかな丘の道に沿って藤棚が満開で、その中を杖で歩くと、もう和のファンタジーに包まれた。そ[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_05375866.jpgして数日後、沢山の種類のバラが咲誇る平塚の花菜ガーデン写真)も訪ね、印象派の絵画イメージを重ねることができた。
  2014年10月下旬に、息子と私の誕生日祝いを兼ねて、伊豆高原の水月という和モダンの小じんまりとした宿に泊まった。相模湾を眼下[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_05410937.jpgしたテラスにお風呂が付いた部屋で(写真)、食事も京風の懐石、板前の細やかな気遣いが感じられ、朝食に出された鯵の干物は正に絶品。本当に楽しく、旅行ができたことに感謝でした。

◇2015年~2016年 支援サービスに支えられて◇
 2015年3月から、介護保険のレベル「要介護1」の認定を得て、リハビリ系の予防通所のデイサービスに週一で通い始めた。外を歩くときは杖が離せなくなったが、近隣の方との毎朝の稲村の海辺への二人散歩は欠かさずに続けていた。初夏を迎える頃、互いのペースが合わなくなり、それぞれ一人散歩に切り替えた。また、食事も週2回の出来合いの「主副菜の宅配」利用し始め、癒し系の小人数デイサービスも週一で加えました。教会の関係の経営で、歌唱やフラダンス、クラフト作り、食事やおやつ作りへの参加、そして時には市内の寺社への散歩など、とても心のこもったケアを受けさせてもらい感謝で一杯でした。
[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_05482431.jpg<10、11月の日記より>
「この年まで生きてきて今までの事が急に思いだされて、本当に幸せな毎日だったと感謝。報恩会の教えを忘れずに・・・」
 11月の由比ヶ浜の海岸近くのKKR鎌倉わかみやでの「(卒寿を迎えられた)感謝の会」写真)には弟妹や息子達の血縁者一堂に集まってもらえて、
「この年まで来られたのは皆様のおかげです。こころばかりとの会を開かせてもらいました。会食はとても楽しく、沢山のお花と体のマッサージ器をいただき感謝で一杯です。」
 2016年に入ると杖による長時間の外出は困難となり、朝の散歩も滞るようになってきた。
 [No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_05491453.jpg春には次男家族の来訪、近くの長男家族との外食など、時折ミニドライブで、出かけることもあり、10月には箱根ガラスの森への日帰りでドライブしたが、「起伏のある園内の回遊」は備え付けの車椅子と孫の腕に頼る(写真)こととなった。年末には近隣の弟家族と長男家族と合同の忘年会も行えた。

◇2017年~2019年 公的介護に支えられて◇
 2017年に入ると、昨年末に感じた腰の痛みの診察を受け、大事をとってコルセット装着することにしたが、デイサービスはすぐに再開することができた。しかし、歩行能力の衰えは如何ともし難く、公的介護の[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_06072114.jpg支援でコンパクトな車椅子(スワニー製)(写真)を購入、そして歩行器、便座支持手すりのレンタルサービスを受け始めた。
 2018年には、車椅子を使ってではあったが、時折の日帰りの小旅行に連れ出してもらい、気分転換を図ることが出来た。5月には大船フラワーパーク、彫刻の庭で知られる海辺の県立近代美術館葉山館[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_06081111.jpg写真)、また、時折の外食も楽しみだった。8月の近隣の和懐石、11月の箱根の仙石原の中華料理、そして、12月の魚河岸系の回転寿司、・・・


                                                                                                                                                                                                                                                                                                           
[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_08443781.jpg   
 2019年初めには、浴槽脇への握りバー設置などの住宅設備改善を進め、なんとか、ベッドからの寝起き、洗顔、炊事、洗濯、入浴、トイレなどで少しでも自立動作を取れるような環境を用意してもらった。7月には良人の13回忌を二人息子の家族と多摩の霊園墓参と八王子のホテルでの会食のひと時をもつことができた。
 そして10月には大好きな森戸神社からの相模湾越しの伊豆や丹沢の山々の遠景と飲茶を楽しみ、12月、再び長男と県立近代美術館葉山館を訪ね、この湘南の海の西に傾く太陽がつくるわが身の影に、長きにわたった人生の来し方を重ねたのです(写真)。


◇2020年~ 公的な介護から医療に支えられて◇
 2020年、事態は大きく動いた。松の内が明けようとした時期にめまいと吐き気で医師会休日診療所に世話になって以来、心身の衰えが進み、家族への介護依存も高まって、入浴もデイサービスでお願いすることにした。
 3月には、要介護2」に認定される中で、自立的炊事は全くなくなり、食欲も著しく低下していった。長男夫婦による介護も暮らしの全ての行為に亘るようになった。
 そして運命の6月の2日(火)、昼寝の折にベッドから降りようとして転倒、近隣の診療所で打撲の疑い、更には主治医に食欲不振と転倒について診察を受けたものの嘔吐を繰返し、食べ物を受け付けなくなったので、週末の6/6(土)に地域の中核病院で夜間の緊急外来を受診したところ、直ちに上半身のCTと肩のレントゲン検査で、肩の骨折と肺の重大な病態が見つかったのです。
 これを受け6/8(月)には、同病院の専門診察を受け、左肩の複雑骨折は手術をあきらめ現状の固定化治療、肺の病態へは自覚症状はないものの要観察との診断を受けた。食道の詰まりは解消されているものの、そうしたことが起きやすい(後日、胃部上部疾患と診断)とされた。
 その後の、医療的なケアは、総合病院から近隣の中規模な総合病院(SKH)に託すことにし、8月には胸部のCT検査を受け、肺の病態は確実に進行との判断がなされるとともに、余命についての言及もあった。
[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_09132044.jpg 自宅介護では6月中半には、ベッドサイド冊、玄関段差対応のケアスロープ写真)を借用するとともに、それまで続けてきた味噌汁の定期通販や週3回の宅食配達も停止し、週3日程度、近くの特養のショートステイ介護サービスをデイサービスと併用する日常が始まったのです。
 8月にはケアマネの助言により「要介護5」の認定を受け、デイサービス経営者が開設したばかりの高齢者介護施設への入居宿泊体験、9月末には在宅での訪問リハビリ、そして訪問歯科治療を開始し、11月まで続けた。
[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_09175283.jpg そんな中、介護、治療を受ける身として、自分の気持ちを長男夫婦に伝えて、今後のことについて話し合った。ただし、長男が用意してくれたエンディングノートに終末への思いを書き記すことにはペンが進まなかった。
 「皆に世話になるだけで、生きてゆくのは心苦しい」
 「自分で自分のいのちを縮めることも叶わない」
 「家族の介護の負担を考えると、介護施設に入所するのはいとわない」
 そして、2020年の12/28、ショートステイで利用させてもらっていたすぐ近くの特養ホームでの居住型介護施設利用が認められ、居を移した。
[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_09194556.jpg 正月を目前にしての入居だったので、長男夫婦や孫娘たちは一緒に祝い膳を囲めないことを無念に思ってくれたのですが、施設側も一定の配慮をしてくれた。一番辛かったのは、新型コロナのまん延が収まらない中、家族との面会が、玄関の内と外でのガラス越しでしか叶わないことだった。しかもスマホを介した電話会話なので、やはり対面とはかけ離れたものだった。それでも頻繁に長男夫婦や孫娘[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_09205845.jpgが会いに来てくれ、次男夫婦や弟夫婦も面会に来てくれたのは嬉しかった(写真)。
また、好きな食べ物で傷まないものならば差し入れが許されていたので、面会毎に「食べたいモノリスト」写真)で意向を聞いて、次回差し入れてくれたのは楽しみだった。
 特養ホームに入って2カ月を過ぎた頃、私の体の中で確実に進んでいる肺の重大疾患に関するSKHの医師の判断は、いつ危急状態に陥っても不思議はないので、特養ホームがそうした事態に対処できるかどうか検討する時期がきているとのことだった。特養ホーム側と打合せたところ、点滴や麻酔薬による鎮痛処置に対応が難しく、しかも夜間には看護師が不在という態勢では私をしっかりとケアしきれないとの結論に至ったのです。
[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_09214135.jpg 3月末、特養ホームを退所して、SKHの終末医療も可能な「療養病棟」に転院することになったが、これは私の肺の重大疾患が急に悪化した場合を考慮したSKH側の計らいだったと思われる。また転院の折には、3カ月ぶりに稲村ガ崎のわが家で、家族とのひと時を過ごすことができ(写真)、途中では鎌倉山の満開の桜も愛でることができた。感謝である。
 現在は、SKHの「療養病棟」[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_09223641.jpgに転院して、「治療」を受けられる態勢の中でしっかりとした看護サービスを受けているところである。その転院時には、新型コロナウイルス感染リスクを抑えるために、個室で1週間を過ごしてから、4人部屋に移っている。SKHの主治医や担当看護師の方も、見守りを継続けてくれており、治療行為が必要な状況ではないことから、長男夫婦も主治医や看護士さんの話しを聞きにSKHに来た折に、対面で私との対話ができる時間を許容されている。
 やはりこうした対面は、ガラス越しやオンラインによる面会とは伝わる温もりが異なっているということを実感しており、家族に会うたびに涙がこらえられません。


 「ここまで生きてこられて本当に幸せだった  感謝」
の一念なのです。
 その後、7月に入ってSKH側から、その落ち着いた病態、暮らし方から、日常的には介護施設であれば「より活き活きとした過ごし方ができるのではないか?」との問いかけが長男夫婦に投げかけられ、自宅での老々としての終末ケアの難しさがあり、24時間看護付きの老人ホームへの転院の可能性が模索されているという。

◆再び“海辺の一日”に戻って◆
[No.132] 老々介護を受け入れる ― 海辺の一日 ―_b0250968_09243336.jpg リアルの母の周辺の“海辺の一日”に戻ると、鎌倉の七里ヶ浜の海辺には、もう数十年にわたって、江ノ電バスのシンボルとなるバス停がポツンと立っている場所がある。バス停「姥ヶ谷」であり鎌倉駅との間の路線の終点である。バスの運行表には週末に一日一本が運行されることになっているが、そのバスを私は見たことはない。四季を越えて毎日、朝から夕まで潮風と陽光の中で佇んでいる。
 “いずれその日の母のための海辺のバス停”
なのだろうか?

 TVの俳句教室の中で次の森鴎外による歌が紹介されていた。
 「死は易く生は蠅にぞ悩みける」 
 (森鴎外「うた日記」より)
老いるということの悩ましさは、まちがいなく、私にもまもなく訪れるのである。
                                  以上
                           2021年7月29日 記
================== 182.png =================

by humlet_kn | 2021-07-29 08:50 | 解かる | Comments(0)

名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。