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[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1

 7月9日は天候が不安定との予報であったが、東京での午後の用務に先立って、午前中に上野の森美術館を訪ねることにした。6月から7月にかけての2カ月弱にわたって開催されていた
[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_1423392.jpgミラクル・エッシャー展」(http://www.escher.jp/ )
である。
久しぶりに「エッシャー」と向き合う機会を得たので、本ブログでは「エッシャー」との間で見出した過去そして、今回新たに見出した断章を紡いでみたい。なお、本ブログ記事の執筆においては、M.C.ESCHER財団の公式HP
 https://www.mcescher.com/foundation/
および、オランダ・ハーグにあるエッシャー美術館のURL
 https://www.escherinhetpaleis.nl/visit/?lang=en
に公開されている諸情報を活用している。

特異な感性に適う技を求めて
 Maurits Cornelis Escher (1898-1972) は、学生時代を建築と装飾美術についての学校で学んだが、入学後まもなく建築ではなく、装飾美術の道を選び、絵画と版画についてしっかりとした基礎を身につけ、1922年に卒業した。卒業の前後に、北イタリア、スペインへの旅行をし、グラナダのアルハンブラ宮殿のモザイクにも初めて出合っており、版画創作の新たな動機づけの誘因となったとみられる。
 1924年には旅行先のイタリアで知合った女性と結婚、ローマに新居を構え、2年後には長男も誕生している。[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_14255889.jpg[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_14264524.jpgそんな幸せに満ちた、イタリアでの滞在中(1923-1935)には、住んでいたローマや旅行先の南欧を中心に建築空間や明媚な山や海に惹かれた風景を描いている。それは故郷のオランダの風土とは全く異なる明るさを湛えたものだったのであろう。写真2
Tower of Babel 1928 (Woodcut)
であり、写真3は、初期の風景画の傑作といわれる
Castrovalva 1930 (Lithograph)
である。木版画とリトグラフという、異なる版画技法が用いられている。
 ここで建物の壁面、険しい崖面や天空の表現をみるときその肌理や遠近感の描き方が大きく異なるように感じられる。急峻な山岳表現、天空から降り注ぐ雨や光線の木版画による特徴的表現として、比べてみたくなったのが同じく木版画である浮世絵との対比である。写真4 (Escher,1933) ,写真5 (広重, 箱根)の山岳画および写真6 (Escher,1934),写真7 (広重, 庄野)の光線と降雨画を見てどこか共通する部分が感じられないだろうか?広重や北斎は江戸時代末期の絵師だが、その作品や技法はすでに西洋美術に大きな影響を与えていた時代である。
[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_142922100.jpg[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_14302031.jpg

[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_1432751.jpg[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_14325958.jpg

緻密な数学的世界を求めて
[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_1440492.jpg 1979年に “Gödel, Escher, Bach: an Eternal Golden Braid” ( Douglas R. Hofstadter, Bsic Books, Inc ) (写真8)が発売され世界を揺るがせ、1980年にピューリツァ賞を受賞している。日本語版は「ゲーデル、エッシャー、バッハ ― あるいは不思議の環」(野崎昭弘、はやしはじめ、柳瀬尚紀 訳、白揚社)として1985年に発刊された。私自身、未読の書になるが、なぜ国際的な話題本で、EscherがGolden Braidの中に組み込まれたのか、少し考えてみたい。
 まず注目したいのがゲーデルである。「はじめからの数学3 数」(ジョン・タバク著、松浦訳;青戸社、2005)によれば、
 「ゲーデルは1929年、ウィーン大学で博士号を取り、そのまま大学に教員として残った。1930年代の末までは数学漬けだった。…1938年、アメリカに移住し、プリンストン高等研究所の一員となった。ゲーデルが数学をひっくり返す発見をしたのは、1931年、まだウィーンにいたときだった。…ゲーデルの発見は「不完全定理」にまとめられる。その論文で…算術という、数学で最も単純な部門を論じる、自然数と足し算・掛け算の演算を検討する。・・・どんな数学の体系でも、その中には証明も否定もできない言明が存在することを発見する。…ゲーデルは算術を検討し、算術について、真とも偽とも証明できない命題を構成できた。…ゲーデルの結論は、永遠に証明できない命題の存在を『保証』している。」というのである。すなわち「公理群が無矛盾なのは、真でありかつ偽であることが証明できてしまう命題がない場合」だ。ここに数学の世界でも、無矛盾でない公理群がありうることが示されたのである。
[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_14434547.jpg つぎにバッハに目を向けてみよう「バッハ」(樋口隆一著、新潮文庫、1985)によれば、
「1747年は晩年のバッハに大きな名誉を与える年となった。…フリードリヒ大王の招待を得たバッハは、5月7日にポツダムの宮殿に到着している。喜んで迎えた大王は、自慢のジルバーマン製のフォルテピアノの前に案内し、大王の主題にもとづくフーガの即興演奏を所望した。バッハが見事に期待に応え、宮廷人たちの称賛をかちえたのは言うまでもない、…バッハはライプツィヒに帰ってから、大王の主題にもとづく各種のフーガやカノン注1]、さらにはトリオ・ソナタを改めて作曲し、《音楽の捧げもの》(BVW1079)(写真9)として大王に献呈した。まさにバッハの対位法芸術の粋を集めた作品である。」すなわち、与えられた主題
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に対し、3声のフーガが奏され、続いて同主題による無限カノンが奏される。王の主題がアルト譜表でしるされ、1小節遅れのソプラノとバスに分かれた音域の旋律で続くカノンをつくり、王の主題をとりまきながら無限にめぐるのである。さらにこの王の主題による各種のカノンがあらわれ、逆行カノン、同度カノン、反行カノン、螺旋カノンなどが展開されてゆく。これを機にあらためて手持ちのレコードをじっくりと聴くことができた。
 「音楽の捧げもの」に見られる数学的世界は、音系列の複合化における、音階と時間の空間における点列パターンの様々な写像形態の組合せで構成されているということであろう。
 因みに、エッシャー自身が1940年に、友人に送った手紙の中で、とりわけバッハのカノンに関心を寄せていたことが記されているという。
[注1](コトバンクより) カノン: 一つの声部の旋律が,ある間隔をおいて他の声部によって,同一音程もしくは異なった音程で厳格に模倣される楽曲。いわゆる輪唱はその最も単純な形。主導する声部を先行声部,模倣する声部を後続声部という。カノンは,2声に限られず,3声,4声のものもある。…後続声部の模倣の方法により,次のような種類に分けられる。 (1) 平行カノン,(2) 反行カノン,(3) 逆行カノン,(4) 反逆行カノン,(5) 縮小カノン,(6) 拡大カノン,(7) 二重カノン,(8) 無限 (循環) カノン,(9) 混合カノン,(10) 謎カノンなど
[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_14511531.jpg では、エッシャー自身の作品に見られる数学的世界を見てみよう。一つは、「幾何学的な文様世界」であり、他の一つは「連続的な変容世界」である。前者のキーワードは「平面の正則分割 (Regular Division of Plane) 」である。これは「同じ形を反転、回転を許容しながら、互いに隣接させて、平面を隙間なく埋め尽くすこと」であり、エッシャー自身は、アルハンブラ宮殿(1921年に継いで、1936年にも訪れ、詳細に探究)のモザイク写真10)を発想の原点としているといわれている。私自身も、2012年11月にアルハンブラ宮殿を観光で訪問したが、まさにヨーロッパにおける最後のイスラム文化の砦としての装飾美術の粋に息をのんだのを思い出すのである。
[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_1453568.jpg ローマ在住後、スイスに居を移していたが、1937年にはブリュッセル郊外に戻り、実際、結晶学関連の論文を学ぶ中、平面の正則分割に関する探究を進めたという。そして、さらにオランダのバールンに戻った後、1958年に「平面の正則分割」を自身で発表している。「彼は平面の正則分割の技法に関する講演の中で、もともと人間の文化の中にあった図形デザインの概念なのですと言い、ムーア人の装飾文様や、イスラム教のタイルの装飾や、ギリシャ正教のイコンのデザインなどを例として示した。その時に、第一に彼が示すのが、日本の紗綾形(さやがた)文様と呼ばれる文様(写真11)で、もとは明のものだが、日本ではよく着物に使われたものだ。綸子(りんず)という絹織物にこの柄を織り出したものが流行し、紗綾綸子と呼んでいたという事実もある。」というのは興味深い。これは後述する彼の父の日本でのお雇い外国人としての滞在経験に負うところが大きいと見られる。
[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_14563448.jpg つぎに「連続的な変容世界」である。エッシャーは前述の平面の正則分割の基本ユニット図形として人物や魚、鳥、爬虫類などを用いているが、写真12は2度目のアルハンブラ宮殿訪問後まもなく、わずかずつ形を変容させながら白と黒の逆行する渡り鳥の図形をくり返し用いて平面を埋めた作品「Day and Night」(1938)であり、平面の正則分割と連続的変容世界の見事な融合である。

 そして市松模様のタイルから始まって様々な基本図形の隊列に変形して行き最後は市松模様に再起する様を帯状に表現してみせたMetamorphosis II (1940)は一つの集大成(写真13)といえよう。
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[No.105] 人間生活と文化(12) ― エッシャーとの断章を紡ぐ(感性・数理・認知)その1_b0250968_1459555.jpg さらに、エッシャーが焦点を当てた連続的な変容のタイプとして、「サイズの拡大/縮小」があり、これを「無限に繰り返した極限」を表現した作品も多い。写真14は「Smaller and Smaller」(1956)であり、独特の爬虫類パターンユニットが3色に塗り分けられ、中心部に向けて、急速な縮小を無限に繰り返しながら、極限へと収束している。

================= <No.106へ続く> ====================

by humlet_kn | 2018-09-22 14:40 | 出あう | Comments(0)

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