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[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ

 この2018年の春の暖かさは、花の世界も狂わせてしまったようである。[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_18175220.jpg代表的な桜(ソメイヨシノ)の開花についての気象庁のまとめによれば、表のように、「東日本、西日本とも平年より早いか、かなり早い傾向だった。秋から冬にかけての厳しい寒さで休眠打破の時期が早まり、3月の高温も相俟って開花時期が全国的に早まった」という説明がなされている。
 鎌倉に住まいする筆者の実感としても、梅、こぶし、桃、椿、桜、山吹、シャガ、そして躑躅へと重なりを見せながら、途切れなく一気に咲き誇っていったという印象であった。ここでは、そうしたいつもにも増して華やいだ春の風情を、文化的関わりの中で、いくつかの断片的体験から拾ってみたい。

◆北斎の美人画の華 <2018/03/16>
[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_18192242.jpg その日は、雨がちで少し肌寒い日であった。両国での仕事に区切りをつけるため、この地を訪れたのであるが、以前から気になっていた「すみだ北斎美術館」http://hokusai-museum.jp/)にも足を運ぶことにしたのである。同館は開館1年半であり、その現代感覚にあふれた建物に意気込みが感じられる。[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_18205976.jpg企画展「Hokusai Beauty ~華やぐ江戸の女たち~」は、春の訪れを感じさせる華やぎの美人画展で北斎に対するイメージを広げてくれるとの期待で入館した。最近は、北斎への注目度はTVや美術界でも高まっており、ゴッホ、モネらの近代絵画の西欧の巨匠たちが大いなる影響をうけたジャポニスムに関する絵画展なども開かれているが、その焦点の一つは明らかに北斎であった。ここではあまり取り上げられることのない北斎の美人画から見えてきたものに触れてみたい。年号と作風に関する記述は、同美術館のHPの「北斎の生涯」を踏まえている。
[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_18221130.jpg 浮世絵といえば、まずは美人画や役者絵が頭に浮かんでくるが、美人画ではうりざね顔のちょっと気位の高い、すました表情の粋な女性のしなやかなポーズがイメージされる。北斎は1960年にここ墨田の辺りで生まれているが、若い頃はそうした鳥居清長らの流れに沿った美人画も描いていたという。左図(瀬川菊之丞の図)は浮世絵師・勝川春章の門下としての初期(1779年)の作品といわれる。
 34歳 (1794年) のとき、勝川派から飛び出し、琳派の頭領が用いてきた「宗理」を名乗り、狂歌との係わりで多くの挿絵を描いたが、38歳(1798年)には琳派からも独立し、独自の作風を追求し始めている。その後、宗理様式を完成させ、45歳(1804年)頃からは読本挿絵に重点を置き、さらなる高見の画風を生みだし「葛飾北斎」という雅号を確立していった。
[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_18232219.jpg 53歳(1812年)ごろからは全国に名声を広げ、絵手本に集中する中で活き活きとした人間の様態などを描いたイラスト集「北斎漫画」を世に出している(1814年~)。まるで動画を見る思いであり、様々な場面での庶民のしぐさやくらし方、そして情感が表されている。私自身も、人間生活工学の研究者として、生活者の表情や身振り、行動の計測・理解・創出の研究に携わってきたが、「北斎漫画」に注目してきたが、その認識を新たにしたところである。この時期の作品「手踊図」(右図; 1818-29年作)は、江戸美人の躍動的仕草と衣装の風合い、皺、透明感、そして息遣いを感じさせるものとして、特筆すべきものではなかろうか?
[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_18244238.jpg 71歳(1830年)~74歳(1833年)は「富嶽三十六景」などを生みだした錦絵の時代といわれている。浮世絵における風景版画の世界を確立したのであるが、洋風表現や絵具などを大胆に取り入れ、それがさらに西欧の画家達にも新鮮な驚きをもたらすことになったのであろう。この時期に到達した美人画として注目したいのは「白拍子」(60~70台歳前半)(小布施北斎館蔵)である。描かれているのは「静御前の舞」(?) であるが、その目元・目尻、視線、唇に現れた表情、手指の握り、そして衣装の輪郭やしわの角ばった表現に、静の心の内がほとばしり出ているように思えるのである。
 以上、すみだ北斎美術館での企画展「Hokusai Beauty ~華やぐ江戸の女たち~」での鑑賞ならびにネットを通した関連情報の収集を通して、北斎の美人画の作風の変遷を見てきたが、つぎのような感想を持った。
 ・顔立ちおよび表情についての顕著な変化は、リアリティの追求と洗練にあると思われる。目の表現では輪郭について瓜型から目元・目尻の繊細化があり、情感の発露としての表情については、無表情な人形顔から、目の微妙な開き方の違い、眼差しの見据えるもの、唇の締まり/弛緩の様態などが描き出されている。
 ・体全体の姿勢は、人形的な立ち姿で、他者に見せるための静態的なポーズから、動作の早さと筋肉の発揮力を感じさせる動態的ポーズへの変遷が見られる。
 ・見につけた衣装の文様・柄、しなやかさ/堅さ、透明感、そして目を惹く鮮やかさを演出する色使い、などについての進化が感じられる。
 江戸の女たちの描き方の変遷を通して、北斎の華やぎの世界の深化を垣間見ることができたという思いである。

[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_20312494.jpg◆古びた洋風の小さな民家と艶やかな椿 <2018/03/18>
 鎌倉市稲村ガ崎姥が谷の丘を登り、元の「山あじさいの里」のあったお宅の横の山路、ちょっとした峠を越えると、眼下に優しい陽光のふりそそぐ七里ヶ浜の海が広がる。[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_20345372.jpg江ノ電の線路を横切るために坂道を下ると、その洋風の木造邸宅があり、玄関脇の艶やかな赤い花をつけた椿がなんとも昭和を感じさせるのにふさわしい取り合わせなのである。

 それが、この正月に見たシネマ「鎌倉ものがたり Destiny」の主要な舞台の一つである「一色正和・亜紀子夫妻が結婚生活を始めるレトロで小さな洋館邸宅」を思い出させることになった。[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_2036579.jpg映画製作では、当初はその邸宅を西岸良平の原作コミックのイメージに沿って実際に見つけて、ロケで撮影したいとしていたものの、諸般の事情であきらめ、スタジオ内にセットとして設けることになったとか・・・。ちょっと残念ですが・・・。



◆水温む城ヶ島の磯の華 <2018/03/24>
[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_20374183.jpg 陽春に誘われて、娘の家族を伴い何年ぶりかで城ヶ島を訪ねた。公園に車をとめ、柔らかな陽射しとやや霞んだ房総の山々を背にした穏やかな海を眺めて、[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_20392324.jpg磯に下りると、引き潮のせいか独特の岩礁の間の水溜りには様々な生命、とりわけ小魚やカニ、貝類そしてかわいい蛸の生息が確認できて、男の子の孫は興味津々であった。
[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_20432971.jpg 公園内の広場には、たんぽぽが咲き、「通り矢のはな」を盛り込んだ北原白秋の弟子で戦後の代表的歌人の宮柊二(シュウジ)の歌碑が立っていた。
 そして相模湾側の長津呂﨑の城ヶ島燈台下の海辺に降りると、悠々と波間に浮かぶクラゲの花麗に目を奪われた。多彩なクラゲといえば江の島水族館(江ノスイ)のプレゼンテーションが思いだされた。昨年の春に、その艶やかな群舞やソロの舞い(?)を目の当たりにすることもできていた。

[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_20401976.jpg [No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_20411546.jpg

◆多摩西方の霊園を染める桜 <2018/03/30>
[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_20454639.jpg 我が家の墓所は東京都西部のJR高尾駅近くの北側に位置する広大な霊園にある。11年前に父を亡くして以来、毎年、数回の墓参に訪れてきたが、彼岸の時期に訪れたときは、桜の開花にはやや早過ぎるという風であった。[No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_20464953.jpg 母も齢92を過ぎて、車での墓参といえども、寒暖の気候には配慮せざるをなってきており、今年は、思い切って霊園の桜の開花情報を得ながら、暖かくなるのを待って訪れたのである。そこに広がっていたのは、まさに極楽浄土を感じさせる華やぎの現出として、“雲居の桜”を思わせる風情であった。霊園ゆえ、ということなのであろうか。



◆オランダを思い出させたチューリップの園 <2030/04/12>
 私たち家族でオランダの“キューケンホフ” ( https://keukenhof.nl/en/ ) というチューリップで名高い公園を訪れたのは丁度40年前(1978年)の5月であった。以来、チューリップというと、その時の体験感覚が頭からはなれず、世界でも一、二を争う「究極の花園」のというイメージを持ち続けてきた。
実際、日本一のチューリップ切り花の産地でもある新潟県に住んでいた17年の間には、新潟市内郊外や隣の五泉市のチューリップ畑を何度が訪れている。一面に咲き誇る色とりどりの花の絨毯は、規模こそオランダほどではないがそれなりに楽しませてくれた。また、観光としてのチューリップ園としては富山県の砺波市も数度訪れているが、4季を通して楽しめるように温室などを駆使した施設ではあったが、キューケンホフとは異次元のものであった。
 その“キューケンホフ”の疑似体験が、立川市にある国営昭和記念公園
http://www.showakinen-koen.jp/
でできることを、今年はじめてマスコミの紹介レポートで知ったのである。長年のキューケンホフへのあこがれと思い出を胸に抱いて、妻と訪れたのは4月12日であった。西立川駅に降り立つと、目の前に公園の入口ゲートが見えた。平日であったので、多くの高齢者、幼児連れの母親たち、そして若い夫婦などが中心のように感じた。
 165 haという広大な公園はいくつかの異なるねらいをもつゾーンに分かれていたが、この日はもちろんチューリップの園を目指した。20分ほどの散策で、その渓流広場ゾーンに着いた。私達の目の前に現れたのは、まさに“キューケンホフ”のイメージの再認であった。
 そこは小川風の700mの水路と池を囲むように芝生と185種類ものチューリップの花壇が配され、適度に陽光が差し込む林間の散策路の風情である。
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     緑風に 水面の彩の チューリップ
              昭和を胸に 集う人々

     若き日に 妻・幼子と 訪れし
              キュ-ケンホフの 華よみがえる


 まさに、「“キューケンホフ”の上質な華やぎ」への追想が適った陽春の中の数時間であった。
 [No.102]人間生活と文化(11) ― 陽春に華やぐ_b0250968_2133643.jpg最後に、オランダのKeukenhof Parkのイメージを添えておこう。
 その後に「日本庭園」、「みんなの原っぱ」を経て園内を回遊し、隣接の「昭和天皇記念館」で我が半生の半分以上を過ごしてきた昭和への思いを新たにして帰途についた。

                              <2018年4月30日 記>


************** < 了 > **************

by humlet_kn | 2018-04-30 17:29 | 出あう | Comments(0)

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