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[No.98]人間生活と技術(4)  吹き出した製造業企業の技術をとりまく不正

[No.98]人間生活と技術(4)  吹き出した製造業企業の技術をとりまく不正_b0250968_8472898.jpg 今年になって、日本のモノづくりにおける信頼を裏切る不正な行為の数々が、製造業を牽引してきた大企業で次々と発覚している。しかもその技術をとりまく不正行為は何十年も前から続いてきたという。そうした企業倫理の歪の背景を探ってみたい。
 すでに明らかにされた、今年になってからのそうした不正は、主なものだけでも日産自動車および[No.98]人間生活と技術(4)  吹き出した製造業企業の技術をとりまく不正_b0250968_8481322.jpgスバルの「国の保安基準」への適合可否に関する完成車検査の無資格者による実施(日産は1979年から)、神戸製鋼(10年前から)や三菱マテリアル(2年半前から)、そして東レ(10年ほど前から)の素材・材料品質の基準を下回る製品の性能データの改ざんによる契約先への納入などである。
[No.98]人間生活と技術(4)  吹き出した製造業企業の技術をとりまく不正_b0250968_8492683.png[No.98]人間生活と技術(4)  吹き出した製造業企業の技術をとりまく不正_b0250968_8505961.png[No.98]人間生活と技術(4)  吹き出した製造業企業の技術をとりまく不正_b0250968_8512156.png

 そして、昨年は三菱自動車の燃費偽装(2013年~2016年)、一昨年は東洋ゴム工業の免震ゴム性能偽装(2013年~2015年)も社会的な話題となったが、前者では、三菱自動車の日産・ルノーグループへの統合化へのきっかけとなっていた。
 企業による不正には、さまざまなタイプがあるが、CSR(Cooperate Social responsibility 企業の社会的責任)、Corporate Governance(企業統治)の関連からの議論がなされるのが通常である。ところで、製造業の企業活動は、株主・顧客・労働者そして社会と経営者との間で相互の健全な関係の上に構築された製品の企画・生産・提供・保守活動といえる。その中で、「モノづくり」企業であれば、特に労働者における「技術者」の役割は、注視しておく必要があり、製造業企業における不正行為においても、看過できない問題であり、技術者倫理と企業文化、CSRとの関係の観点から少し考えてみたいのである。

(1)技術者の立場からの論点
 筆者自身、1965年に工学部に入学し、機械系の学科で学び、工業技術の開発・評価を担う国立研究機関で研究員として20年以上勤め、その後、国立大学の教員・研究者として技術系の人材育成と基盤技術の研究に従事してきた。この間、国の産業技術政策の推進や民間企業の技術者の方々と協調して実施した技術調査・開発プロジェクトなどに関わる中で、多様な国内外の技術者の方々と交流することもできた。
 そうした諸活動や交流体験などから、今回の焦点課題について、技術者の根底に横たわっているとみられる技術者倫理に関わる論点を3つほど挙げてみたい。
(a) 製品の品質基準や品質保証に対する意識のずれ
 モノづくりで、わが国の高度経済を支えた技術者達には、先端的かつ実践的な有用技術の開発を担ってきたという自負があるように思われる。特に国内外の競争相手と切磋琢磨する国内の大企業の技術開発では「社会的/公的基準」より厳しい「社内目標・基準」を掲げ、クリアすることに心血を注いできたという実績に裏付けられたプライドがあったのではなかろうか。実際、技術開発の最先端は、そうした基準をはるかに超えたところでの挑戦によって、日本企業の産み出した製品の品質の高さや機能の信頼性に対する国際的な評価を獲得してきたのである。このことが高度成長期後の国際標準、グローバルなモノづくり重視の流れの中でも、「社会的/公的基準」の軽視意識をわが国の技術者のマインドから払拭するのに時間を要することにつながったのではなかろうか?
[No.98]人間生活と技術(4)  吹き出した製造業企業の技術をとりまく不正_b0250968_8545212.jpg このことと関連して思い出されるのは、国際的な品質マネージメントシステムに関するISO9000の認証 [1]に関する、企業の行動である。1994年にそれまでのISO9000シリーズが改訂され、企業等によるその導入のしやすさと時代の動向への適合性が高められ、世界的にはその認証取得が進むようになったのであるが、日本企業の取得意欲はいま一つ盛り上がらず遅れをとることになったように思われる。その背景はISO9000の内容と国際ビジネスにおける意味についての認識不足や誤解とともに、前述の企業風土への慣性(具体的にはわが国が先導するTQMを代表とする品質管理への自信)があったためではなかろうか。
(b) 課せられた目標性能・品質基準の高いハードルを越えなくても
 高度の材料科学や生命科学、知能情報科学などがもたらす先端技術の目指すべき姿、そして地球環境の維持や資源の枯渇、世界規模での食料危機や貧困、深刻化する宗教・民族間の対立、テロの拡散などの人類の持続・発展への要請によって、産業技術に課せられたグローバルな目標性能・品質基準は高いハードルとなっている。それらに挑戦する技術者にとっては、価値のある動機づけをもたらすものの、企業活動の中では、限られた資金や時間の制約を課せられるのが普通であり、コストや技術的困難さからハードルを多少下回っても、「成果を示す」ことが求められることもしばしばである。これらのハードルを越えられないことは、長期的、グローバルには問題を引き起こす可能性が大きいが、直接に自分自身や当該企業の不利益をもたらすものではないとの認識や現実的・短期的には深刻な問題を生じないとの甘えが潜んでいるのではないだろうか。
(c) 製品の安全設計における余裕(?)への期待
 製品の安全設計における設計値は、通常は十分な安全率を見込んだものであり、材料の品質や部品の安全性能が設計値を多少下回ったとしても、設計された製品ではリスクを安全率が吸収してくれるとの思い込みがある可能性がある。
 「機械設計における安全率」[2][3]の考え方を見ておくと、「設計時に設定される安全率とは、強度の不確実性、負荷の不確実性が存在するために設定されるものである。したがって、大きな安全率が求められるのは、予測される不確実性が大きく、最悪の事態が生じてもリスクを回避できるためであって、必ずしも安全性が高いことを意味するものではないことに留意する必要がある。」
 実際、安全率の設定値は、1よりわずかに大きい値から、数百にいたるまで様々である。直接的に人命に関わるような部材は安全率も大きめに取られており、例えばエレベーターの篭を吊るすロープなどは安全率を10以上とすることが建築基準法によって定められている。また、同じ自動車の中でも、過積載や現場の判断によって独自の改造などが施されるトラックなどは、一般的な乗用車より安全率が大きめに取られているという。
 機械強度の安全率を決める上で考慮すべき点として、大きくは以下のような点が挙げられる。①強度の不確実性、②負荷の不確実性、③対象物の重要性(もし対象部が破壊した場合の機械・構造物全体への影響度、さらには機械・構造物全体の破壊がもたらす広範囲の影響の大きさ)である。
 「安全率」の理解において、技術者は危険性への余裕の程度を示していると考えがちであるが、安全性を脅かす不確実な要素に備えるためのものであって、「起こりうる事態」への対応であることを忘れてはならない。

(2)企業労働者としての立場からの論点
 企業による不正が発覚すると、真っ先に経営責任が問われることになり、マスコミを通じて経営者の謝罪の会見がなされ、経営責任をどのように取るべきかが社会的に論じられることになる。Corporate Governance やCSRという観点での経営主体の行動に集約されがちである。しかし前述のように製造業の企業活動は労働者そしてその中でもとりわけ技術者が担っているところが大であることを踏まえると、日本の産業や企業活動の長年の歴史に根差した慣習や文化的側面も、技術者の行動規範やマインドに関わっていることは明らかであろう。
(A) 終身雇用と会社への忠誠 ~ 新渡戸稲造「武士道 ― 忠義」
 終身雇用と年功序列制度が、社会的に定着し始めたのは、大正末期から昭和初期といわれ、その後も第二次世界大戦時を除いて、1950,60年代の好景気、そして1970年代を経ての高度経済成長を支える役割を果たしてきたとされる。そうした労使関係の長い慣習や制度においては、大企業の労働者は、その経営者が会社の存続や利益のために掲げた(良心と理に適った)戦略のために、身を粉にして、時には家庭を犠牲にして、会社のために働いてきた。
[No.98]人間生活と技術(4)  吹き出した製造業企業の技術をとりまく不正_b0250968_965990.jpg ここではその文化的背景を、明治期の国際的なベストセラーとなった新渡戸稲造による著書[No.98]人間生活と技術(4)  吹き出した製造業企業の技術をとりまく不正_b0250968_991656.jpg「武士道」[4] [5]に探ってみたい。すなわち、個を捨てて主君の命に尽くす日本独特の文化としての「武士道」の柱の一つである「主君への忠義」と重ね合わせることができるのではなかろうか。それは本来、「諂い(へつらい)」や「追従」とは異質なものである(新渡戸稲造著、山本博文訳「武士道」p96 [5])。しかし、主君(会社)の掲げた戦略が自分自身の良心に背くものであったなら、身を挺してでも主君の知性と良心に訴えるというのが武士道における「忠義」であったという。
 では今般発覚した大企業の「主君の命」は「(技術系の労働者としての)良心に背くもの」ではなかったのであろうか? 近年の「終身雇用と年功序列制度」が崩れつつあるわが国の企業の雇用システムの変革にあって、このような真の「忠義」を発揮しやすい企業風土に繋がってゆくことを期待したい。

(B) 主体的コンプライアンス―不祥事を防ぐために ~ 石田梅岩「都鄙問答 ― 商人の道を問の段」
 現在のモノづくりの企業活動はB to B あるいは B to Cのどちらであろうと、産み出された製品やシステムは、その受け手に対して約した品質、機能、性能を実現するよう努めなければならない。特に法令や公的基準(JISなど)に照らした約束であればそれを偽るような行為は避けなければならない。
[No.98]人間生活と技術(4)  吹き出した製造業企業の技術をとりまく不正_b0250968_9104128.jpg ここで、このような考え方について、江戸時代中頃に独自の商家経営の実践論である「商人道」を確立した石田梅岩の著作「都鄙(とひ)問答」 (1738年刊)[6]の論旨を見てみよう。石田梅岩は10代から商家で奉公しながら、独学で神道、仏教、儒教の教えを学び、35歳で小栗了雲という師に出会いさらに学問を深め、43歳で奉公を辞して、商家の主人や番頭達を対象に[No.98]人間生活と技術(4)  吹き出した製造業企業の技術をとりまく不正_b0250968_9115659.jpg「商人の社会的役割と商業の意義」をゼミナール形式で学ぶ講席[7](梅岩・講釈の図)を開設した。門人との問答という形でその教学が記されたのが「都鄙問答」であるが、その中から、本テーマに関わるとみられる言明を以下に引いてみよう。
 「御法を守り、我が身を敬(つつ)しむべし。商人というとも聖人の道を知らずんば、同じ金銀を設けながら不義の金銀を設け、子孫の絶ゆる理に至るべし、実に子孫を愛せば、道を学びて栄うることを致すべし。」 その意図するところは悪徳商人に対する戒めであり、「目の前の欲望にとらわれ、不義の道に走れば、子孫を絶やすことになる、ほんとうに子孫を愛するのであれば商人道に戻りなさい」と言っており、具体的事例として、「ここに絹一匹、帯一筋にても、寸尺一二寸も短きものあらんに、織屋の方にては、短きを云いたて、値段を引くべし。然れども一寸二寸のことなれば傷にもならず、絹は一匹、帯は一筋にて、一匹、一筋の札をつけて売るべきが、尺引きに利をとり、また尺の足るものと同じ利を取るなれば、これ天下の二重の利にて、点火御法度の二升をつかうに似たるものなり」(仕入れ先には欠陥商品だといって値を下げさせ、お客様には知らぬ顔をして元値で売り、二重の利をとる商人)を挙げている。
 コンプライアンス(Compliance)すなわち法令遵守という理念は、1990年代には、多発した不祥事に対処するための企業経営者の受け身の行動規範として注目されたが、近年は、CSRの視点で、株主はもちろん従業員を含めた企業の活動主体全体の価値観として共有すべきであるという考え方に展開してきたといえるであろう。そのような問題意識が、最近のモノづくり企業の(長年隠されてきた)不祥事を顕在化する誘因になっているとも考えられるのである。現場の技術者たるものも企業活動を担う一員として、コンプライアンスに責任を持ち、企業の将来を見据えた、勇気ある行動をとることが求められているのであろう。

 以上、わが国のモノづくりに携わる技術者として陥りやすい不正行為への3つの誘因と、企業活動を支える労働者としての2つの倫理的行動規範について述べてみた。近年発覚した大企業の技術を取りまく不正について、その背景や経緯、原因などその全貌が明らかになっていない状況ではあるが、本稿で論じた技術者・労働者の観点とこれら企業の不正事態を対応づけてみると、私見ではあるが、以下のような整理ができるのではなかろうか。
<技術者の立場からの3つの論点から>
 (a) 品質基準・保証意識のずれ:日産、スバル
 (b) 高いハードルの軽視:三菱自工、東洋ゴム
 (c) 安全率の誤認識:神戸製鋼、三菱マテリアル、東レ
<企業の労働者としての論点から>
 (A) 真の忠義の欠落:日産、スバル、神戸製鋼、三菱マテリアル、東レ
 (B) 主体的コンプライアンス不足:日産、スバル、三菱自工、東洋ゴム

[参考資料]
[1] Webサイト:Wikipedia「ISO 9000」
[2] Webサイト:Wikipedia「安全率」
[3] Webサイト:「安全率と許容応力」,やさしい実践 機械設計講座,
http://kousyoudesignco.dip.jp/ZAIRIKI4.html
[4] 新渡戸稲造(山本博文訳・解説):現代語訳「武士道」,ちくま書房,2010.
[5] Webサイト:武士道執筆後の著者,「武士道Bushido ? 新渡戸稲造-」,温故知新.
  http://www.1-em.net/sampo/Bushido/index.htm
[6] 平田雅彦:「企業倫理とは何か 石田梅岩に学ぶSCRの精神」,PHP新書346,2005.
[7] Webbサイト:「石門心学 とは」,(社)心学修正舎HP, http://shuseisha.info/.

<2017/12/09記>
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by humlet_kn | 2017-12-09 15:19 | 解かる | Comments(0)

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