[No.98]人間生活と技術(4)  吹き出した製造業企業の技術をとりまく不正

b0250968_8472898.jpg 今年になって、日本のモノづくりにおける信頼を裏切る不正な行為の数々が、製造業を牽引してきた大企業で次々と発覚している。しかもその技術をとりまく不正行為は何十年も前から続いてきたという。そうした企業倫理の歪の背景を探ってみたい。
 すでに明らかにされた、今年になってからのそうした不正は、主なものだけでも日産自動車およびb0250968_8481322.jpgスバルの「国の保安基準」への適合可否に関する完成車検査の無資格者による実施(日産は1979年から)、神戸製鋼(10年前から)や三菱マテリアル(2年半前から)、そして東レ(10年ほど前から)の素材・材料品質の基準を下回る製品の性能データの改ざんによる契約先への納入などである。
b0250968_8492683.pngb0250968_8505961.pngb0250968_8512156.png

 そして、昨年は三菱自動車の燃費偽装(2013年~2016年)、一昨年は東洋ゴム工業の免震ゴム性能偽装(2013年~2015年)も社会的な話題となったが、前者では、三菱自動車の日産・ルノーグループへの統合化へのきっかけとなっていた。
 企業による不正には、さまざまなタイプがあるが、CSR(Cooperate Social responsibility 企業の社会的責任)、Corporate Governance(企業統治)の関連からの議論がなされるのが通常である。ところで、製造業の企業活動は、株主・顧客・労働者そして社会と経営者との間で相互の健全な関係の上に構築された製品の企画・生産・提供・保守活動といえる。その中で、「モノづくり」企業であれば、特に労働者における「技術者」の役割は、注視しておく必要があり、製造業企業における不正行為においても、看過できない問題であり、技術者倫理と企業文化、CSRとの関係の観点から少し考えてみたいのである。

(1)技術者の立場からの論点
 筆者自身、1965年に工学部に入学し、機械系の学科で学び、工業技術の開発・評価を担う国立研究機関で研究員として20年以上勤め、その後、国立大学の教員・研究者として技術系の人材育成と基盤技術の研究に従事してきた。この間、国の産業技術政策の推進や民間企業の技術者の方々と協調して実施した技術調査・開発プロジェクトなどに関わる中で、多様な国内外の技術者の方々と交流することもできた。
 そうした諸活動や交流体験などから、今回の焦点課題について、技術者の根底に横たわっているとみられる技術者倫理に関わる論点を3つほど挙げてみたい。
(a) 製品の品質基準や品質保証に対する意識のずれ
 モノづくりで、わが国の高度経済を支えた技術者達には、先端的かつ実践的な有用技術の開発を担ってきたという自負があるように思われる。特に国内外の競争相手と切磋琢磨する国内の大企業の技術開発では「社会的/公的基準」より厳しい「社内目標・基準」を掲げ、クリアすることに心血を注いできたという実績に裏付けられたプライドがあったのではなかろうか。実際、技術開発の最先端は、そうした基準をはるかに超えたところでの挑戦によって、日本企業の産み出した製品の品質の高さや機能の信頼性に対する国際的な評価を獲得してきたのである。このことが高度成長期後の国際標準、グローバルなモノづくり重視の流れの中でも、「社会的/公的基準」の軽視意識をわが国の技術者のマインドから払拭するのに時間を要することにつながったのではなかろうか?
b0250968_8545212.jpg このことと関連して思い出されるのは、国際的な品質マネージメントシステムに関するISO9000の認証 [1]に関する、企業の行動である。1994年にそれまでのISO9000シリーズが改訂され、企業等によるその導入のしやすさと時代の動向への適合性が高められ、世界的にはその認証取得が進むようになったのであるが、日本企業の取得意欲はいま一つ盛り上がらず遅れをとることになったように思われる。その背景はISO9000の内容と国際ビジネスにおける意味についての認識不足や誤解とともに、前述の企業風土への慣性(具体的にはわが国が先導するTQMを代表とする品質管理への自信)があったためではなかろうか。
(b) 課せられた目標性能・品質基準の高いハードルを越えなくても
 高度の材料科学や生命科学、知能情報科学などがもたらす先端技術の目指すべき姿、そして地球環境の維持や資源の枯渇、世界規模での食料危機や貧困、深刻化する宗教・民族間の対立、テロの拡散などの人類の持続・発展への要請によって、産業技術に課せられたグローバルな目標性能・品質基準は高いハードルとなっている。それらに挑戦する技術者にとっては、価値のある動機づけをもたらすものの、企業活動の中では、限られた資金や時間の制約を課せられるのが普通であり、コストや技術的困難さからハードルを多少下回っても、「成果を示す」ことが求められることもしばしばである。これらのハードルを越えられないことは、長期的、グローバルには問題を引き起こす可能性が大きいが、直接に自分自身や当該企業の不利益をもたらすものではないとの認識や現実的・短期的には深刻な問題を生じないとの甘えが潜んでいるのではないだろうか。
(c) 製品の安全設計における余裕(?)への期待
 製品の安全設計における設計値は、通常は十分な安全率を見込んだものであり、材料の品質や部品の安全性能が設計値を多少下回ったとしても、設計された製品ではリスクを安全率が吸収してくれるとの思い込みがある可能性がある。
 「機械設計における安全率」[2][3]の考え方を見ておくと、「設計時に設定される安全率とは、強度の不確実性、負荷の不確実性が存在するために設定されるものである。したがって、大きな安全率が求められるのは、予測される不確実性が大きく、最悪の事態が生じてもリスクを回避できるためであって、必ずしも安全性が高いことを意味するものではないことに留意する必要がある。」
 実際、安全率の設定値は、1よりわずかに大きい値から、数百にいたるまで様々である。直接的に人命に関わるような部材は安全率も大きめに取られており、例えばエレベーターの篭を吊るすロープなどは安全率を10以上とすることが建築基準法によって定められている。また、同じ自動車の中でも、過積載や現場の判断によって独自の改造などが施されるトラックなどは、一般的な乗用車より安全率が大きめに取られているという。
 機械強度の安全率を決める上で考慮すべき点として、大きくは以下のような点が挙げられる。①強度の不確実性、②負荷の不確実性、③対象物の重要性(もし対象部が破壊した場合の機械・構造物全体への影響度、さらには機械・構造物全体の破壊がもたらす広範囲の影響の大きさ)である。
 「安全率」の理解において、技術者は危険性への余裕の程度を示していると考えがちであるが、安全性を脅かす不確実な要素に備えるためのものであって、「起こりうる事態」への対応であることを忘れてはならない。

(2)企業労働者としての立場からの論点
 企業による不正が発覚すると、真っ先に経営責任が問われることになり、マスコミを通じて経営者の謝罪の会見がなされ、経営責任をどのように取るべきかが社会的に論じられることになる。Corporate Governance やCSRという観点での経営主体の行動に集約されがちである。しかし前述のように製造業の企業活動は労働者そしてその中でもとりわけ技術者が担っているところが大であることを踏まえると、日本の産業や企業活動の長年の歴史に根差した慣習や文化的側面も、技術者の行動規範やマインドに関わっていることは明らかであろう。
(A) 終身雇用と会社への忠誠 ~ 新渡戸稲造「武士道 ― 忠義」
 終身雇用と年功序列制度が、社会的に定着し始めたのは、大正末期から昭和初期といわれ、その後も第二次世界大戦時を除いて、1950,60年代の好景気、そして1970年代を経ての高度経済成長を支える役割を果たしてきたとされる。そうした労使関係の長い慣習や制度においては、大企業の労働者は、その経営者が会社の存続や利益のために掲げた(良心と理に適った)戦略のために、身を粉にして、時には家庭を犠牲にして、会社のために働いてきた。
b0250968_965990.jpg ここではその文化的背景を、明治期の国際的なベストセラーとなった新渡戸稲造による著書b0250968_991656.jpg「武士道」[4] [5]に探ってみたい。すなわち、個を捨てて主君の命に尽くす日本独特の文化としての「武士道」の柱の一つである「主君への忠義」と重ね合わせることができるのではなかろうか。それは本来、「諂い(へつらい)」や「追従」とは異質なものである(新渡戸稲造著、山本博文訳「武士道」p96 [5])。しかし、主君(会社)の掲げた戦略が自分自身の良心に背くものであったなら、身を挺してでも主君の知性と良心に訴えるというのが武士道における「忠義」であったという。
 では今般発覚した大企業の「主君の命」は「(技術系の労働者としての)良心に背くもの」ではなかったのであろうか? 近年の「終身雇用と年功序列制度」が崩れつつあるわが国の企業の雇用システムの変革にあって、このような真の「忠義」を発揮しやすい企業風土に繋がってゆくことを期待したい。

(B) 主体的コンプライアンス―不祥事を防ぐために ~ 石田梅岩「都鄙問答 ― 商人の道を問の段」
 現在のモノづくりの企業活動はB to B あるいは B to Cのどちらであろうと、産み出された製品やシステムは、その受け手に対して約した品質、機能、性能を実現するよう努めなければならない。特に法令や公的基準(JISなど)に照らした約束であればそれを偽るような行為は避けなければならない。
b0250968_9104128.jpg ここで、このような考え方について、江戸時代中頃に独自の商家経営の実践論である「商人道」を確立した石田梅岩の著作「都鄙(とひ)問答」 (1738年刊)[6]の論旨を見てみよう。石田梅岩は10代から商家で奉公しながら、独学で神道、仏教、儒教の教えを学び、35歳で小栗了雲という師に出会いさらに学問を深め、43歳で奉公を辞して、商家の主人や番頭達を対象にb0250968_9115659.jpg「商人の社会的役割と商業の意義」をゼミナール形式で学ぶ講席[7](梅岩・講釈の図)を開設した。門人との問答という形でその教学が記されたのが「都鄙問答」であるが、その中から、本テーマに関わるとみられる言明を以下に引いてみよう。
 「御法を守り、我が身を敬(つつ)しむべし。商人というとも聖人の道を知らずんば、同じ金銀を設けながら不義の金銀を設け、子孫の絶ゆる理に至るべし、実に子孫を愛せば、道を学びて栄うることを致すべし。」 その意図するところは悪徳商人に対する戒めであり、「目の前の欲望にとらわれ、不義の道に走れば、子孫を絶やすことになる、ほんとうに子孫を愛するのであれば商人道に戻りなさい」と言っており、具体的事例として、「ここに絹一匹、帯一筋にても、寸尺一二寸も短きものあらんに、織屋の方にては、短きを云いたて、値段を引くべし。然れども一寸二寸のことなれば傷にもならず、絹は一匹、帯は一筋にて、一匹、一筋の札をつけて売るべきが、尺引きに利をとり、また尺の足るものと同じ利を取るなれば、これ天下の二重の利にて、点火御法度の二升をつかうに似たるものなり」(仕入れ先には欠陥商品だといって値を下げさせ、お客様には知らぬ顔をして元値で売り、二重の利をとる商人)を挙げている。
 コンプライアンス(Compliance)すなわち法令遵守という理念は、1990年代には、多発した不祥事に対処するための企業経営者の受け身の行動規範として注目されたが、近年は、CSRの視点で、株主はもちろん従業員を含めた企業の活動主体全体の価値観として共有すべきであるという考え方に展開してきたといえるであろう。そのような問題意識が、最近のモノづくり企業の(長年隠されてきた)不祥事を顕在化する誘因になっているとも考えられるのである。現場の技術者たるものも企業活動を担う一員として、コンプライアンスに責任を持ち、企業の将来を見据えた、勇気ある行動をとることが求められているのであろう。

 以上、わが国のモノづくりに携わる技術者として陥りやすい不正行為への3つの誘因と、企業活動を支える労働者としての2つの倫理的行動規範について述べてみた。近年発覚した大企業の技術を取りまく不正について、その背景や経緯、原因などその全貌が明らかになっていない状況ではあるが、本稿で論じた技術者・労働者の観点とこれら企業の不正事態を対応づけてみると、私見ではあるが、以下のような整理ができるのではなかろうか。
<技術者の立場からの3つの論点から>
 (a) 品質基準・保証意識のずれ:日産、スバル
 (b) 高いハードルの軽視:三菱自工、東洋ゴム
 (c) 安全率の誤認識:神戸製鋼、三菱マテリアル、東レ
<企業の労働者としての論点から>
 (A) 真の忠義の欠落:日産、スバル、神戸製鋼、三菱マテリアル、東レ
 (B) 主体的コンプライアンス不足:日産、スバル、三菱自工、東洋ゴム

[参考資料]
[1] Webサイト:Wikipedia「ISO 9000」
[2] Webサイト:Wikipedia「安全率」
[3] Webサイト:「安全率と許容応力」,やさしい実践 機械設計講座,
http://kousyoudesignco.dip.jp/ZAIRIKI4.html
[4] 新渡戸稲造(山本博文訳・解説):現代語訳「武士道」,ちくま書房,2010.
[5] Webサイト:武士道執筆後の著者,「武士道Bushido ? 新渡戸稲造-」,温故知新.
  http://www.1-em.net/sampo/Bushido/index.htm
[6] 平田雅彦:「企業倫理とは何か 石田梅岩に学ぶSCRの精神」,PHP新書346,2005.
[7] Webbサイト:「石門心学 とは」,(社)心学修正舎HP, http://shuseisha.info/.

<2017/12/09記>
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# by humlet_kn | 2017-12-09 15:19 | 解かる | Comments(0)

[No.97] 鎌倉そぞろ歩き(16): 極楽寺・稲村ガ﨑のアートフェスティバル2017

b0250968_1818632.jpg 「極楽寺・稲村ガ崎アートフェスティバル2017」は例年通り10月6日~15日の10日間開催された(写真1)。昨年同様、期間全体を通しては天候に恵まれず、雨だけでなく寒々しい日が多かった。その中でも、晴れ間が見えた日に本年度から新規参加されたところを中心に数か所巡ってみたので、以下に紹介しておこう。

<かいな kaina>
b0250968_18202910.jpg 今年、わが家近くで初参加した2スポットの1つ。稲村ヶ崎一の谷から極楽寺側の月影の谷に向かう砂小坂の上り口の小高い丘の上の黒壁の洋風の館(写真2)である。中古の建物を入手・改装し、今年の6月末に開店したこころとからだの癒しカフェスポットとのこと。「かいな」とは「腕(うで)」の古い言い方で、身の回りの家具や道具を見直してこころのケアをはかる職人と体の調子を整えるためのケアをはかる職人のお二人が、b0250968_18224459.jpgその「かいな」を活かす場として開設されたのだという。ドリンクや軽い食べ物も専門家のサポートで提供されている。

 庭先から靴を脱いでサロン空間にはいると、くつろぎのキッチン&ダイニングを醸し出すセッティング(写真3)がなされていた。家具とインテリア、雑貨には北欧風のデザインが埋め込まれ、若い二人の職人さんとの会話もリラックス感をもたらしてくれたのである。

 中でも、置かれている様々な椅子体験(写真4,5)を勧めていただいた家具修復職人の吉岡良太氏とは、「椅子デザイン」、「デンマーク・デザイン」について私の関心(My BlogのNo.34などを参照)との重なりを見出し、楽しいひとときを過ごすことができた。吉岡氏は、実際、デンマークにおいて椅子デザイン工房での修行体験をされてこられたという。壁に掛けられていた「Hans J.Wegner + Carl Hansen & Son」のポスター(写真6)に象徴される「デンマーク・デザイン」についてあらためて調べ、感じてみたいと思ったのである。
b0250968_21153085.jpgb0250968_21142644.jpg b0250968_5252644.jpg

b0250968_21434212.jpg<Think Space>
 上述の「かいな」の直ぐ手前のせせらぎ「音無川」に面してそのスポットは開かれていた。
 古民家風の和モダンを感じさせる外観と室内である。説明をされたのは物静かな若い女性で、玄関(写真7)をはいると「マインドフルネスを軸に“心”と“思考”に着目したワーキング環境の提供」をねらいとしていることが語られた。確かに、雑踏や世間の目を隔てて、この空間(写真8,9)に身を置き、心を落ち着け、深い思考を行いながら、なんらかの創造的な“しごと”をするには、絶好のファシリティのような気持ちになったのである。
b0250968_21454491.jpg  b0250968_2149367.jpg
 このアートフェスティバルのための企画かと思われる「チベットの瞑想ツール」の紹介が行われていた。シンギングボウル写真10b0250968_2155496.jpgと呼ばれる黄銅製の大小の沢山のボウルが並べられており、一つ一つを掌に乗せて、小さなスリコギのような木の棒でその円周の縁を撫で回すと、次第に器が共鳴を始め、倍音効果による不思議な響きが耳のみならず身体に伝わってくるのを感じることができた。もちろん、その大きさや肉厚、材質によってそれぞれ異なることから、心身のリラックス効果も様々なのではなかろうか?実はその後、10/20に藤沢にある百貨店に行ってみたところ、「チベット・ネパール曼陀羅展」が開催されており、ここでも多くのシンギングボールを体験で来たのであるが、不思議な縁を感じたのであった。チベット仏教に由来するとのことだが、近年は、欧州などでも注目されるようになってきたという。
 あらためて身近なせせらぎ「音無川」の風情を意識しつつThink Spaceを後にした。

b0250968_21574724.jpg<INAMORI イナモリ>
 一の谷の中央の道筋を辿って突き当りまで上がってゆくと左に折れて七里ヶ浜団地方面に向かうことになるが、そちらに行かず、真直ぐに団地内を登ってゆくと、突き当りの崖下に最近新築された板張り壁面を持つ邸宅がある。こちらがアートフェスティバルに参加されるとは思っていなかったが、そのエントランスのガレージ風のコンクリート造りのギャラリー空間が現れた(写真11)。ガラス張りのエントランスを入ると、若手の女性写真家、福井裕子氏が出迎えてくださった。彼女が、武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科を修了されてからのこの10年間の足跡を示す作品十数点ほどが、年代順に展示されていた(写真12,13)。

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b0250968_2222051.jpg 写されているのは自然の風景、天空、植物、動物、人物、建物など広範であるが、そこから受ける印象は、一瞬の切り取られた美しいイメージの世界であるように感じた(写真14 =天空に昇る(?))。それは、その場に身を置いた時の彼女の感性そのものを写し出し表現したものだったのか・・・。
自宅に戻って彼女のHP
 http://www.yukofukui.com/
を探してゆったりと見てみると、その味わいが変化してきたように感じた。

◆その他の定番のアートスポット ◆
b0250968_4225478.jpg 一昨年、昨年と訪問してきた<鎌倉かわうそ>に今年も伺ってみた。今年いただいた案内葉書には「猫とTokyo Tower」とかかれておりその構図に興味を持った(写真15)。

 1Fの玄関兼展示コーナー(写真16)には、Tokyo Towerをテーマにした5,6人の作家の作品(写真、絵画、水墨など)が並べられていたが、東日本大震災の際に電波発信搭部が壊れたこと、スカイツリーによる役割の変容などを埋め込んだと思われる作品がみられた(写真17,18,19)。しかし、いずれの作品もTokyo Towerへの愛着に溢れているように思え、心を和ませてくれたのである。

b0250968_457375.jpgb0250968_511249.jpgb0250968_515331.jpgb0250968_521173.jpg


b0250968_510172.jpgb0250968_510405.jpg 2Fのギャラリーでは、写真家で猫愛好家の大川裕弘氏の猫の様々な表情の写真や猫文化グッズが展示(写真20)されていた。個人的には「猫島」に群れ集う猫の生態を面白く、細やかにとらえた写真(写真21)に興味を覚えた。

b0250968_5115338.jpg 最後に、もう5年間にわたって訪問している<極楽寺ガラス工房>にも触れておこう。天候に恵まれなかったのではあるが、最終日に雨の降る中、今回も訪問させていただいた。セール品を1つ1つ手に取りながら、工人の岩沢ご夫妻とお話しをさせていただいて、手に入れたのはかなり前の制作になるが、薄めの青緑色(御納戸色?)の透明なガラス器の表面を加工して燻し仕上げ風の金色で落ち葉とその背景の帯型を彩色した注ぎ口付の酒器写真22)であった。これからくらしの中で、じっくりと使い込み、味わってゆきたいと思っている。

(2017/10/21 記)
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# by humlet_kn | 2017-10-21 18:23 | 出あう | Comments(0)

[No.96] 人間生活と文化(9):音楽とともに(2) ― オーディオ・ライフをふり返る(2)

<<<<< No.95からのつづき >>>>>

◆つくばでの生演奏の体験が更なるシステムアップに導く◆
 私のオーディオに関する次の節目は、就職して8年後に職場が新しい街「筑波研究学園都市」に移った(1979年)後、まもなくであった。住居も借家ながら公団住宅風のコンクリートのアパートに移り、LDKのリビング空間部も10畳ほどになって、オーディオを楽しむ環境ができたのである。そこでマイ・オーディオの改造は、これまでのシステムで最も不十分さを感じていたレコード音源の入口であるレコードプレーヤーの更新であった。これまでのb0250968_18284816.jpgターンテーブルはベルトドライブであったがその経時的劣化や回転音ノイズなどが気になってきていたのでダイレクト・ドライブを採用したのである。またカートリッジは入門機向けであったため、より高品位の音質を求めて、中級機向けとして定番となっていたSHURE製に変更したのである。
 Recode Player:  (1981/01)
 Turntable & Phono Arm:
 Victor Electro Servo Player QL-Y5
 Phono Cartridge:  SHURE M44G

b0250968_182951100.jpg これにより、わがLD空間は、娘たちのための小さなグランドピアノも置いたのでそれほどの余裕はなかったが、音楽を楽しめるバランスの取れた音楽空間と思えるようになり、私にとっては大いなる深化であった。
ここで併せて、このつくば市における暮らしの中で、私にとって重要な意味をもつことになった音楽体験を紹介しておこう。つくば市は国の科学技術振興政策によって「筑波研究学園都市」として1960年代から構想、計画され筑波大学(1973年)を先頭に各省庁傘下の試験研究・教育機関の移転が始まり、1980年に43機関の移転が完了した。そうした中で街としての中核である「つくばセンタービル」が開設(1983年)され、1985年には国際科学博覧会(TSUKUBA EXPO)が開催されたのである。
 さて、音楽との関わりでは、そのつくばセンターのシンボルとなった「ノバホール」(1983年より)(写真)の存在が重要であった。建築家・磯崎新の設計による中規模(大ホール:座席数1000席)の音楽ホールであったが、その空間構成の気品・モダンさと相俟って演奏会場としての音響効果のすばらしさで知られた。このホールは、この新しい街の住人として移り住んできた文化人の主体的活動によって支えられた「つくば国際音楽祭」が1985年以来毎年、開催されてきたのである。このノバホールでは、内外の著名な音楽家(ヤーノシュ・シュタルケル、メラニー・ホリデイ、ペーター・シュライヤー、小林道夫など)の演奏を、恐らく東京公演の2割位(?)安く、しかも近隣の日常生活のリズムの中に組み込む形で気軽に楽しむことができたのである。その中でも印象深い音楽体験は、「マタイ受難曲」 (1993年?) であった。その演奏者や演奏曲の詳細の記憶(記録)がないのが残念だが、ジョゼッペ・シノーポリ(?)の指揮で、ノバホールの決して広くない舞台一杯に楽団員、合唱団員そしてソプラノ、アルト、テノール、バスのソリストが並び、バッハの純化された宗教曲の透明な音色がホールに響き渡っていったという印象が残っている。
また、演奏会体験という意味では、声楽については、ロッシーニの歌曲で国際的な名声を獲得し始めたC.バルトリの東急文化村での初来日公演「モーストリー・モーツアルト」(1992年)の圧倒的なインパクト、そしてオペラについては、海外出張時のプラハ国立歌劇場での「魔笛」(1987年)、国内では東京での英国グランド・オペラ「カルメン」(1989年)、バイエルン国立歌劇場のサヴァリッシュ指揮/市川猿之助演出「影のない女」(1992年) 、b0250968_457112.jpg教会音楽としては、ブリュッセルのサン・ミッシェル大聖堂写真)で行われた没後200年(1991年)のイベントとしての宗教曲「モーツァルトのレクイエム」を通して、舞台/教会という大空間での音楽芸術にも入り込んでいったのである。
このような生演奏の音楽体験を様々なジャンルで積み重ねてゆく中で、手持ちのオーディオ・コンポの更なるステップアップのためには中核となるb0250968_8395694.jpgプリメインアンプの格上げが不可欠と考え、素直で締まりがあり、余計な装飾をしないが、しっかりとした音作りを感じたSONYのものを選定した。これにはSONYという会社への信頼感の高さも手伝っていた。そして、Open Reel Tape Recorderの使い勝手の煩わしさを踏まえて、Cassette Tapeによる録音への切り替えを図ったのである。
b0250968_8495693.jpg Stereo Cassette Deck SONY TC-K222ESJ (1994/10)
 Integrated Amplifire SONY 中級機 TA-FA5ES  (1995/01)


◆越後での音響・映像システムがもたらしたもの◆
1995年4月、転職に伴い、つくば市から新潟県長岡市に居を移した。つくばと同様の借家の公団住宅風のコンクリートのアパート住まいであったが、LDKの空間は狭くなり、SPも以前のようなやや大型のブックシェルフ型を置くことが難しくなったのに加えて、サイドボードの上にSPを含めてコンポシステムを設置するレイアウトに変更することにした。コンパクトなSPを「テレ音」で視聴を繰り返して絞り込み、b0250968_21482248.jpg英国のSPENDOR社製に辿りついたのであった。また、それを転機に、チューナーの更新、レーザーディスクプレーヤー(LD/CDの再生)の購入を行った。また、既に保有していたSONYのblack faceのプリメインアンプと同シリーズのチューナーへの置き換えを行った。
 SP: ブックシェルフ型 SPENDOR SP-3/1P (1996年) 
  (低域 16cmコーン型ウーファー
   + 高域 1.9cmソフトドーム型トィーター;
   65Hz〜20kHz ±3dB; W220×H400×D280mm;
   バイ・ワイヤリング対応)
b0250968_21504038.jpg Tuner: 中級機 SONY ST-S510 (1997/07)
 Laser Disk (& CD) Player: PIONEER CLD-R7G (1997/07 ?)


b0250968_21515955.jpg
 その結果、長岡での更新後のわが家のオーディオ環境は一段落したのである。
 この頃の私の音楽の指向としては、長岡在住ということもあって地元での音楽会への参加は限られることになった。市内の音楽ホールとしては、かなり年月を経た町はずれの旧市街地の市民劇場と信濃川の川西リバーサイドに新しく設けられた公園エリアの一画の「長岡リリックホール」があったが、新潟市から60km離れていることもあり、著名な音楽家の演奏会が催されることは少なかったのである。そんなことから、私の日常的な音楽体験の中心は、従来のレコード、FMに加えて、レーザーディスクに傾注することになったのである。既にこれまでも述べてきたが、オペラを楽しむという点では、レーザーディスク・プレーヤーが大活躍することになって、モーツァルトのオペラのLDをかなり揃えたりした。
 また、長岡在住中の生演奏の音楽体験としては、クラッシックでは残念ながら印象深いものはないが、内外の民族音楽については、いくつか特記しておきたい。まずは、新宿でのアントニオ・ガデス舞踊団(ガデス自身を含む)の「アンダルシアの嵐」(1997年)のフラメンコの民族舞踊としての圧倒的なインパクト、そして、海外出張時に体験したタイ国の国立劇場での伝統的なラーマキエン由来の舞踊劇(1996, 1999)や中国人コミュニティによる京劇、インドネシアのバリ島のガムラン(2010/11)、カナダのトロントでの本場のミュージカル体験(2001/08)、b0250968_220414.jpg米国ニューオリンズの街中にあふれるジャズ写真:Preservation Hallでの演奏会)の活気と哀愁を醸し出す調べ(2001/08)などがあった。翻って長岡周辺では、佐渡の鼓童の和太鼓による躍動、盲目の女旅芸人が三味線を携え唄った「越後の瞽女唄(ごぜうた)」、柏崎の500年の歴史をもち、初期の歌舞伎の様相を残すといわれる芸能舞踊「綾子舞」、そして富山県八尾の哀愁を帯びた胡弓の音色と男女の農民踊りの「おわら風の盆」などが、印象深いものであった。

 これらを背景とした、私のオーディオシステムの再構築結果の統合的な音質の特徴は以下の通りであった。音源の入口、音量増幅・音質修飾、そして出口の全段を通して、中級機のレベルを達成し、中音域・高音域の締まりとクリアーさ、そして一定の厚みを引き出してくれた。ただし、低音域や瞬間的な音の立ち上がりやインパクトは十分とは言えなかった。特に、宗教曲での通奏低音、フラメンコなどでの床面の衝撃音などで弱点があったように思われた。一方、オペラやアリアなどでの人の声、特に女声の豊かさ、繊細さには見るべきものがあったと思っている。もちろん、オペラや舞踊音楽ではLDという当時としては高画質の映像再生の手段を手に入れられたことは、喜びであった。

 その後、長岡での仕事も終期が近づいた頃、映像と音響の統合的記録媒体としては、DVDが進化し高画質のBlu-ray Diskが定着しつつある中で、LDの映像ソフトも急速に減少し、ついにLD Playerの製造も中止される事態至った。これにより、音響・映像の記録・再生用に以下の機器の購入を図り、LD Playerからの乗り換えを図ったのであった。
 Blu-ray Disk Recorder ( & DVD / DV) Panasonic DMR-BW850 (2009年製)

◆そして定年退職を経て今・・・◆
 私自身の定年退職は、2012年3月末であった。これを契機に、実家の旧家屋を建て替え、鎌倉に戻った。当初はLD空間(30㎡=18.5帖)に、長岡から持ち込んだTVとAV(音響・映像)システムを、そのまま配置していたが、木造で空洞の内外壁体を有する特殊な建築構造とより大きな容積の室空間のためか、音場の締まりが甘くなり、長岡での音響のレベルには届いていなかった。そして5年目を迎え、家族構成の変化に伴う、宅内の各部屋の利用形態の見直しを図ることになり、家族の共有空間としてのLD空間の他に、書斎を兼ねた個人空間(11.3㎡=7帖)でのオーディオ環境を再構築することにしたのである。
 それぞれのオーディオ環境のねらいを定め、
 ①これまでの手持ちの音響システムを、共有(LD)空間の建築構造に適合させ、くつろぎの際の視聴を前提とした、より高品位のAVシステムに改変すること
 ②個的(書斎)空間に、デスクトップのPCを設置しつつ、そのデスク上に配置でき、しかし、FM放送やCD再生を中心とするコンパクトだが、できるだけ価格・性能比の高い音響システムをあらたに導入すること
を目指した。b0250968_57212.jpg
 そこで、そのねらいの実現に向けての戦略は以下のようであった。
 ①についてのシステム改変戦略の主体を、Pre-main Amplifireの買い替えとSpeaker の潜在能力を引き出すことに集中した。特に後者については秋葉原に行き懐かしい「テレ音」写真)で視聴や相談をさせてもらった上で、最終的には量販店の視聴室での聞き比べにより判断した。
 ②については、コンパクトさを追求したIntegrated ReceiverとBookshelf-type Speakerを、ネット上の解説や口コミと量販店の視聴室での様々な組み合わせによる絞り込みに傾注した。
b0250968_974124.png 選択結果の具体的な構成は、
 ①について: 新規に
 Integrated Amplifire: Marantz PM8005
  Insulator: ハイブリツドインシュレーター
b0250968_992585.jpg  (6個1組)audio-technica AT6099

を購入し、既有の
  FM/AM Tuner: SONY ST-S510
  Blu-ray Disk Recorder ( & DVD / DV):
    Panasonic DMR-BW850
  SP: ブックシェルフ型 SPENDOR SP-3/1P 
との組み合せb0250968_5281580.png
 ②について:
  Network CD Receiver: Marantz M-CR611
   CDプレーヤー/FM / AMチューナー
   /ネットワークオーディオ対応
b0250968_1533441.jpg  SP: ブックシェルフ型Camblidge Audio SX-50
   (25mm silk dome tweeter
    / 135mm treated paper cone
    / Mid/Bass Driver; 50Hz - 22kHz;
    W161 x H225 x D240 mm)
  Insulator: ハイブリツドインシュレーター(8個1組)
    audio-technica AT6098
であった。
 このように構築された音響システムに対する印象は以下の通りである。
b0250968_1535577.jpg ①については、今までのシステムに比べて、“異次元”の奥行き感、空気感が創出され、透明感も高まったのである。その結果として、Record Playerの再認識Spendor SP-3/1Pの底力・実力の実感があった。前者では同じRecord Playerから取り込まれた音源にもかかわらず新たな音像が提示されたし、b0250968_15374687.jpg中音域中心と感じていたSpendor SP-3/1Pから、通奏低音やオーケストラの音源の3次元的広がり、生みだされる空気の張り・振動感を聞き取ることができるようになったのである。そんなことから、最近はバロック音楽や合唱曲そしてカンタータなどの宗教曲の音色を味わう楽しみも追加されて来ている。

 ②については、まずは、Marantz M-CR611の価格比での高機能・高性能性に驚いている。Internet Radioの音質の高さと24時間鑑賞可能なクラッシック等の国際的な選択チャンネルの豊富さは、新たなオーディオ世界を私に期待させてくれた。そしてCambridge Audio SX-50のコンパクトなボディから湧き出る英国サウンドは、音作りの基本がSpendor SP-3/1Pと同系統であること(もちろん迫力には欠けるが)を確認させてくれたし、私にとっては心地よいものとなっている。その実力のうちに、机上におかれたコンポ・ステレオがサポートしてくれるデスク/PCワーク時の低出力の環境音の質の高さがある。

当面のオーディオ・システムの手直しは、①についてスピーカーのバイ・ワイヤリング化の効果の確認である。そして、さらに、このオーディオ・システム再構築により、魅力を実感した音楽のジャンルの広がりの中で、ライブの音楽演奏会、オペラ公演などへの参加の機会を増やして行ければと思っている。                            <20017/09/28 記>
================  完 ================
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# by humlet_kn | 2017-09-27 18:30 | 出あう | Comments(0)

[No.95] 人間生活と文化(9):音楽とともに(2) ― オーディオ・ライフをふり返る(1)

 70歳を迎えた今年、久々に自宅のオーディオのヴァージョンアップを行った。今さらの感もなくはないのだが、かつてのオーディオに傾けた情熱を、少しばかり蘇らせて、ちょっぴり自己満足を味わっているので、このブログでも取り上げてみたい。

◆わが家にレコードプレーヤーがやってきた◆
 私のオーディオとの付き合いの始まりは、中学生の頃だった。たまたま父が大手の電機メーカーに勤めていて、何かの縁でわが家に同社製の卓上レコードプレーヤーが届いたのである。その折には私の中では音楽は別世界で、学校の音楽の授業がそうした機会だったように思われる。わが家にやってきたレコードプレーヤーには視聴用のドーナツ版のタンゴのレコードがついてきて、初めてレコードという媒体に関心を持ったことは確かであった。母は育った家庭で父親(私の祖父)が手回し蓄音機を持っていて子どものころからSP版のクラッシック音楽に親しんでいたようで、この時もすぐにベートーベンのピアノ協奏曲No.5「皇帝」のLPを購入して、私にも聞かせてくれたものであった。こんなわが家のオーディオ環境の変化が、学校の音楽の時間でのレコード鑑賞への関心に私を誘ってくれた。今でも覚えているのは、イタリア歌曲の若きテノール歌手、ジョゼッペ・ディ・ステファーノの歌声であった。授業の後、自分の意思で「ナポリ民謡」のドーナツ版を入手し、繰り返し聴いていたのである。
 その後、わが家のレコードプレーヤーは専らウェスタンやフォークソング系の軽音楽を私が当時の手軽なレコード「フォノシート」で楽しむ程度が、高校時代まで続いた。いま振り返ると、そんな中で、その後の私のオーディオ・ライフの序奏となったことがあった。それはたまに一歳上の従弟の家に遊びに行った際に、コンポのステレオシステムを楽しんでいたのに振れたことであった。手持ちのレコードを自分の好みの音質で再生するための道具に出会ったのである。そうこうしているうちに大学受験となり音楽やオーディオとは離れることになった。

◆オーディオとの再会は大学の下宿生活を始めたころ◆
 オーディオとの再会は、大学1年生として仙台で下宿生活を始めたとき(1965年)であった。自分だけの3畳の部屋で、プライベートな時間を、ラジオを聴きながら過ごすことが多くなり、民放の東北放送の夜の番組でクラッシック音楽を毎週聴く機会に恵まれたのである。b0250968_14395437.jpg同じ下宿のオペラ好きの友人とともに、下宿近くの東北放送の放送局で毎月開かれるその番組のファンサービスのレコードコンサートを体験できたことが決定的だったように思われる。さすがに放送局のオーディオシステムであり、レコードとはいえ私にとっては本格的な音響の体験であった。しかも、毎回、レコード鑑賞で使ったそのレコードは抽選で、来場者にプレゼントされていたのだが、ある時、運よく私がその栄誉に浴したのである。それがブラームスのヴァイオリン協奏曲で、クリスチャン・フェラスのVn、カラヤン指揮、ベルリンフィルの演奏であり、今でも大切にしている(写真)。
 これで私の学生生活の中で、確実なオーディオ志向が芽生えて、仙台市内のトリオ、山水、パイオニア、オンキョウなどのショールームの視聴室をしばしば訪ねて“耳を磨いた”のであった。当時は、オーディオがブームになりかけていた時代であり、私の周りにもオーデョイに関心を持った大学の友人が何人かいたし、私自身も「ステレオ」という月刊誌を継続して知識を吸収したのである。
 日常生活では、学生でバイトをしていたわけでもなかったので、雑誌に取り上げられるオーディオ機器は手の届くところにはなかったが、b0250968_14481464.jpgそれでも自分でレコードやFMを聞きたいとの思いから、仕送りから何とかひねり出して、手に入れたのが卓上のセパレートステレオの“ONKYO コンサートジュニアST-55”であった。左右のシングルスピーカー、センターボックスにはレコードとFM/AMチューナーとアンプ部が一体となったシステムであった。これで例のプレゼントのレコードを繰り返し聴き、FMのクラッシック番組に浸かった日々が始まったのであった。いま思えば音質は大したことはなかったがそれでも中学生の頃のわが家の卓上レコードプレーヤーに比べれば雲泥の差であった。
 こんな経過があったので、音楽の好みは作曲家ではブラームスとベートーベン、楽曲ではオケやコンチェルトそしてピアノソナタがレコード選択の中心になった。またFMでは毎早朝のバロック音楽の番組の影響もありバッハへの触れ合いを体験した時代であった。そんな“音楽”を聴くには、オンキョウの卓上ステレオでは限界があった。

◆さらにオーディオへの関心が高まって◆
 大学3年生の専門課程(実際は精密工学科)に進むと周囲の友人にもオーディオファンがいて仙台に自宅のあるF氏にご自身のこだわりを含めて、いろいろなメーカーを組み合わせるコンポーネントステレオの世界に導いてもらったのである。これで、今までのように音響機器メーカーの仙台の視聴室巡りも、自分が手に入れるとしたら、どのメーカーのどの機種のコンポーネントがそれぞれどんな特徴を持っているのかをこだわりを持って探求するようになっていった。当時の各メーカーに対する私の印象は、アンプ/チューナー/スピーカーを総合すると
 トリオ=チューナーとアンプ主体;すっきりとしたクリアーな音色だが、硬くて低温の厚みがない
 パイオニア=オーディアの総合メーカー;甘いソフトな音色で豊かさはあるが、しまりやクリアーさに欠ける
 山水=スピーカーに特徴があり、独特のアンプもデザインの個性も含めて、ファンがいる;骨太のしっかりした音色で柔らかさに特徴があり、きらびやかで重厚さを感じるが、繊細さやクリアーさには欠ける
 オンキョウ=スピーカーを主体としたメーカー;全体をバランスしてまとめた音作りで、そつがないが、いま一つ押しがなく、透明感や音色の美しさに欠ける
といったものであった。
レコードプレーヤーについてもコンポーネントとなると、ターンテーブルの駆動方式とアーム、カートリッジが焦点となる。駆動方式は、ベルトドライブというのが振動や回転ムラの抑制から推奨され、アームもその複雑な力と学的メカニズムからレコードとレコード針の間に如何に余計な力を生じないかが論じられた。カートリッジは、MM(ムービングマグネット)が扱いやすく音色もまあまあだが、MC(ムービングコイル)は高級コンポには欠かせず、その扱いに繊細さを要するとされた。
b0250968_14524712.jpg なお、下宿の個室で夜間に、音量をやや上げて音楽を楽しむのに、当時、「音質の良さ」で話題となっていた“コンデンサー型ヘッドフォン”の
 STAX イヤースピーカー SR-3
を購入したのはこの頃であった。
 一方、この頃のクラッシック音楽の実体験で記しておくべきことが3つあった。印象深いのは、まずは①仙台の県民ホールで聴いた、山田和雄指揮の東北大学学生オーケストラの「ベートーベンの第7番の交響曲」と、東京まで仙台からわざわざ出かけていった、①NHKイタリアオペラの東京文化会館公演(1967/09/04)のb0250968_14591425.jpg「ドン・カルロ」(オリビエロ・デ・ファブリソツィース指揮、NHK交響楽団、Bs=ロッシ・レメーニ、T=コーンヤ、S=ジョ-ンズ、Bt=ブルスカンティーニら)(写真)、そして②ゲオルグ・ショルティ指揮、ウィーン・フィル「ブルックナー・交響曲第7番」(1969/2)であった。①は、一般学生集団のオケが生み出す“音楽”が山田和雄という指揮者の統率を得て、生き生きとした感動をもたらしてくれたこと、②は、私の音楽人生のあらたな視界を切り開いてくれた、すなわち、壮大な総合舞台芸術として、人間の声を中核として作り出されているのを体感できたことであった。特に、レメーニによるフィリッポ2世のアリア「一人寂しく眠ろう」とヤーゴ役のブルスカンティーニの達者な演技がいまでも目と耳に焼き付いている。また③は、ウィーン・フィルの奏でる独特の弦の音色の厚みと温かさ、作曲家ブルックナーのスケール、そしてショルティの産み出す楽音の彩りという3つの個性のぶつかり合いと融合を身体全体で感じることができたことであった。

◆コンポーネントステレオへの道は◆
 私も大学院に進学(1969年)し、住まいも下宿を出て、通常の住居の一室を借りる生活になり、奨学金も得て、若干の経済的状況の改善もあったので、いよいよコンポーネントステレオ(コンポ)の構築を開始した。ここで問題になるのが、音響メーカーの各ショールームの視聴室利用の限界であったコンポでは、様々なメーカーの単体製品を組み合わせて自分好みの構成を作り上げてゆく必要があるが、その組み合わせの視聴体験ができないのである。。b0250968_159125.jpg当時は、現在のようにそんな組み合わせを体験できる試聴室を持った大型家電店舗は皆無であった。そこで、私は、帰省途上にあった秋葉原の電気街にあった大型家電店やオーディオ専門店を活用したのである。中でもテレビ音響(テレ音)は私にとってはパートナーであった。実際、小さいが一つのビルに多層のフロアーがあって、コンポーネント毎にコレクションがあり、それらを組み合わせて視聴できる部屋もあった。当初は、レコードプレーヤーのカートリッジを聞き比べるとともに、いろいろなステレオに関する知識を店員の方から聞きとることから始めた。
 そして、仙台のショールームでの体験とテレ音での体験と知識を併せて、最初に組み上げたのが、
b0250968_15161693.jpg SP: TRIO SC-201 中型ブックシェルフ(30cm 3ウェイ)×2
 Pre-Main Amplifire: TRIO KA4000 中級入門機
 Tuner: TRIO KT5000 中級入門機
 Recode Player:(確かテレ音による組合せ)
 Turntable: CEC (Beltdrive)  型不詳
  (写真は当時のCEC製レコードプレーヤーセットの市販品)b0250968_15171268.jpg
 Phono Arm: メーカー・型不詳
 Phono Cartridge: Audio Technica AT-21S (VM = MM系)

であった。もっとも、経済的理由で、少しずつ買い足し、スピーカーは特価の展示品でまかなったのを覚えている。
 b0250968_18372742.jpgb0250968_17494526.jpg
 肝心の、システム全体の音の特徴は、トリオを中心にしたために、迫力に欠けるが、高音が比較的鮮明で、硬いが切れのある音であり、当時の好みのオケの弦楽器とピアノの中音から高音、そしてオペラや歌曲の歌声にもある程度、焦点を当てていて価格に対する満足度はまずまずであった。

◆就職して本物の音楽体験を積む◆
 大学院を終了後、就職(1971年)そして結婚と人生における大きな節目を経て、横浜、鎌倉、そして、仕事での初めての海外生活を体験した(1977/10-1978/7)のであった。
この時期の私の音楽体験は“幅広く本物を実感”することであったように思う。1971年にはb0250968_181146.jpgNHKイタリアオペラの東京文化会館公演(9月)の「リゴレット」(ロブロ・フォン・マタチッチ指揮、NHK交響楽団、T=L.パバロッティ写真)、Bt=P.グロソップ、S=L.ラッセル、Bs=R.ライモンディら)を鑑賞し、若き日のルチアーノ・パバロッティの張りのある歌声と大きな演技に圧倒されたのである。今でも、彼のマントヴァ侯爵のアリア「女心の歌」はその容姿とともに脳裏に焼き付いている。また、その後も、ピアノのエミール・ギレリス、ヴァイオリンのレオニード・コーガンの東京公演、そして、ベルリン国立歌劇場によるドイツオペラ東京公演「ドン・ジョバンニ」(1977年)を通して味わったイタリアオペラとは全く異なるモーツァルトのオペラとドイツ系リートの発声の魅力であった。日本人演奏家では、ピアノの宮沢明子、内田光子、弦楽四重奏の岩本真理らのライブを身近に感じてきた。
b0250968_1825594.jpg この頃の私は、このように生演奏の音楽体験を積み重ねていたのに加え、その後、FM番組の気に入ったプログラムを高音質で録音したいという欲求が高まり、コンポのテープ・レコーダーとしてはTEACの名声が高かったが、AKAIという新しいメーカーの音作りを確かめて、
 Open Reel Tape Recorder (AKAI GX4440D)
を入手(1976年?)して、音源の幅が広がったのである。やはり演奏会鑑賞やレコードの購入は高根の花で、そうそう増やせるわけではなかったので、おおいに留飲を下げたのである。
b0250968_186040.jpg そして音楽体験としてもう一つ特筆すべきことは、ドイツでの10カ月間の海外研修中の地方都市AachenおよびBielefeldにおける暮らしに密着した地元のオペラ劇場での鑑賞である。Aachen(写真)は日本でいえば奈良や鎌倉にあたる歴史的な政権の中心地で、神聖ローマ帝国のカール大帝が開いた都市であった。小さいが風格と伝統を併せ持ち、若き日のカラヤンがその音楽監督を務めた劇場でもあった。そこでは何度か公演を楽しんだが、ベートーベンの歌劇「レオノーラ」が印象深かったのを覚えている。なお、Aachenの歴史ある大聖堂(Dome) でのクリスマスのミサを体験できたことも、欧州におけるキリスト教と宗教音楽との関わりを意識していく上での端緒となった。

================ <No.96へ つづく> ================
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# by humlet_kn | 2017-09-27 15:28 | 出あう | Comments(0)

[No.94] くらしの中で数学を(3) ― 経済活動への比率・割合の活用(2)

(4)時系列として用いられる比率・割合

 生活者が日々の暮らしの中で家計(収入、支出、貯蓄)を支えるときに最も気にするのが物価の動向である。勤労世帯であれば、主婦は家計簿を付けながら、月給やボーナスなどの勤労所得と預貯金・投資などによる収入、手持ちの預貯金額を踏まえて、物価の動向をにらみながら、それぞれの消費分類への支出を調整してゆくことになる。

◆消費者物価指数(CPI)
 消費者が購入する生活関連のモノやサービスなどの物価の水準を把握するための統計指標で、総務省から毎月発表されている。指数の数値は、ある基準年の物価を100としてその尺度値に変換して提示される。調査対象品目の大分類としては、食料、住居、高熱・水道、家具・家事用品、被服・履物、保険・医療、交通・通信、教育、教養娯楽、諸雑費が採用されている。消費者物価指数の変化をもって物価の動向を知ることができるので、消費者物価指数は、国民の生活水準を示す指標のひとつになっている。統計指標としては、年間の12カ月の年平均指数も公示されている。

◆消費者物価上昇率
 消費者物価指数(CPI)の上昇率のことで、消費者が購入する商品の価格の上昇度合いをパーセンテージで示したものになる。ただし、消費者物価指数は毎月集計・公表される物価指数の指標であることから、季節性の強い商品の場合、必ずしも消費者物価指数を前月のそれと比べた場合の上昇率を単純にとらえるのは難しいので、通常は年間の同月間での比較を行い、消費者物価の前年同月比の上昇率、あるいは、年間の年平均物価指数を前年と比較することが行われることに留意しておこう。
  消費者物価指数の前年同月比 (%)
   =(当月の指数− 前年の同じ月の指数)/(前年の同じ月の指数)× 100
  年平均物価指数の前年比(%)
   =(当年の年間平均指数-前年の年間平均指数)/(前年の年間平均指数)×100
b0250968_17205841.jpg


 これらについて、政府の統計調査結果の公開データから、2015年基準の年平均消費者物価指数の1970年~2016年までの時系列の推移、および、そのデータを前年比(率)%としてグラフ化して図示したのが図9 (a)と(b) である。このグラフによれば、物価の年平均の年度間の比較結果が正負の記号を含めて比率で示されるので、1970年度以降の大きな経済的な背景要因を踏まえながら物価の急激なプラス/マイナスの変動を大局的に理解するのに好都合である。
 具体的には、
 1973年に第一次オイルショック
 1979年に第二次オイルショック
 1989年に消費税率3%導入
 1997年に消費税率3%から5%へ
 2002年にわが国の景気の谷
 2008-2009年に金融経済恐慌発生、国際的な原油や穀物などの資源価格高騰
 2013年に消費税率5%から8%へ;TPPに日本が参加
などが物価の急激な変動に係っているとみられるのです。


(5) 繰り返して用いられることを前提とした比率
 ここでは、預金や借金に関わる金利に焦点を当て、家計の中での長期間にわたる預金戦略の結果の見通しや、ローン返済の戦略の見通しを得るための方法について、数学的に考察してみたい。

◆預金金利(一括、積立)

 ここでは簡単のために、期間の推移を年単位で、金利を年利でとらえるとする。金額を表す貨幣単位は、円建てでも米ドルだけでも構わないが、ここでは無次元単位としておこう。
数学的に扱うために、まず、変数記号をいくつか導入しておこう。
 t : 年数でとらえた期間経過。便宜的に期間の初期値を0としておこう
年単位は1ずつ進んでゆく
 x(t):期間経過t年における、預金金額
 a:年利、すなわち年間の預金金利(通常は%表示であるが、ここでは数学的な比率)で固定金利とする
 u:年間の積立額で一定額とする
とすると、複利で預金が増えるとすると、預金の単位期間当りの預金額の増加額は
微分方程式による表現では
 (dx / dt) = ax + u                 (1)
となるが、極短期間をΔtで、その間での預金額の増加分をΔxで表すと
 Δx = x(t+Δt) – x(t) ≈ {ax(t) + u} Δt           (2)
であり、この式(2)でΔtを限りなくゼロに近づけていった場合が式(1)になります。
 これは最も基本的な“線形の一次常微分方程式”と呼ばれるもので、その厳密な解は、以下のように得られることがわかっています。
 すなわち、初期の期間経過t=0における預金額の初期値x(0) = x0 と置くと
  x(t) = exp(at) x0 + (1/a) exp(at) (1 - exp(-at)) u  (3)
であり、わかりやすい形に書き換えると
  x(t) = p(t) x0 + q(t) u                (4)
ただし、
  p(t) = exp(at)                    (5)
  q(t) = p(t) (1/a) (1 - (1/p(t)))             (6)
となる。
ここに、exp(at)は、自然対数の底をe=2.71828182845… としたとき、eを底とし、atをべき指数とする指数関数 e^at の数学的表記である。この自然対数の底eは“ネイピア数”と呼ばれ、様々な定義がなされているが、オイラーによれば
   d [b^z] / dz = b^z                (7)
を満たす実数 b をネイピア数と定義しています。


<定期預金(一括預入)>

 一般的な定期預金は、まとまったお金を一括預け入れすることでその定期預金契約が1口成立する仕組みで、満期日までそのまま据え置くのが普通です。銀行では、6カ月、1年、3年、5年定期などがあり、金利も異なるのが普通です。ちなみに、2017年8月現在の国内の銀行の定期預金金利の幅は(300万円以上の預金の場合)以下のようである。
 6カ月定期預金: 0.01 ~ 0. 50 %
 1年定期預金 : 0.01 ~ 0.25 %
 3年定期預金 : 0.01 ~ 0.25 %
 5年定期預金 : 0.01 ~ 0.30 %
 では、現在、手持ち金x0があって、T年間の定期預金に預けて、満期でx(T)を取得できるとすると、様々な預金金利r%によって、x(T)がどの程度違ってくるかを知りたいとする。
式(1)に当てはめると、預金期間中の毎年の積立金u(t)がゼロであるのが特徴で、
 a = r/100, u = 0, x(0) = x0
と置いて、x(T)を式(4), (5)を書き換えた式(8),(9)で算出することができる。すなわち、
  x(T) = p(T)x0               (8)
  p(T)= exp([r/100]T)              (9)
b0250968_17360540.jpg


で、手持ち金x0 = 300万円を一括で預ける場合、様々な金利r%、満期期間Tについて、満期受取額x(T)を算定すると、定期預金における満期期間と満期受取額の関係がいくつかの固定金利間の比較として図10のように得られる。

 関連して、固定金利の複利での預金受取額x(T)の初期手持ち金x0に対する比率が、
  p(T)= exp((r/100)T)            (10)
であることから、両辺の自然対数をとると
  ln (p(T)) = rT/100             (11)
が得られ、例えば、金利r%の定期預金でp(T)=2.0 が実現するための満期期間T年は
  T = 100 ln (2.0) /r =100×0.69315 / r ≒70 / r   (12)
で算定できることが便宜的な方法と知られている。すなわち私達が数十年前に経験してきた高金利時代の定期預金では、金利 r = 7% の場合、10年間定期預金に預けると元本が2倍になることを示している。超低金利時代の現在では、例えば、金利r%の定期預金でp(T)=1.1 が実現するための満期期間T年は、lnを自然対数の表記とすると
  T = 100 ln (1.1) /r =100×0.09531 / r ≒9.531 / r   (13)
となり、かなりの高利回りの金利1%の預金商品が出現しても、ほぼ10年間を要することがわかる。


<積立預金(一定額の毎期積立)>
 積立定期預金は定期預金とは違い、毎月決まった預入日に決まった額を貯蓄(自動振替)できる定期預金の一種です。積立日を給料日近くに設定することで、確実に(あまり意識せずに)貯金ができ、残りの残金で生活し、くらしに無理のない貯蓄ができると人気があるようです。積立期間は定められた期間から選びますが、その満期が来ると「自動継続」されるのが普通です。
 積立期間は、3ヶ月~3年位で設定できるのが普通で、金利は、ネット銀行でも0.08~0.5%程度である。
 一般的には、元本ゼロで毎月一定額mを積み立てていくので、年当りの積立額u=12mに変換しておけば、ここでも式(1)が適用でき、当初の手持ち金x0 = 0 で、毎年の積立金u(t)=12mで、積立期間Tをあらかじめ設定するのが特徴です。金利をr %とすると、
  a = r/100, u = 12m, x(0) = x0 = 0
と置いて、x(T)を式(4), (5) (6)書き換えた式(14),(15),(16)で算出することができる。すなわち、で産出することができる。すなわち、
  x(T) = q(T) u                   (14)
ただし、
  p(T) = exp(aT)= exp([r/100]T)            (15)
  q(T) = p(T) (1/a) (1 - (1/p(T))) = p(T) (1/[r/100]) (1 - (1/p(T)))   (16)
となる。
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 手持ち金x0 = 0で毎月の積立額1万円の場合、様々な金利r%(0.01%~1%)、満期期間T(6カ月~5年間)について、満期受取額x(T)を算定すると、定期預金における満期期間と満期受取額の関係がいくつかの固定金利間の比較として図11のように得られる。ただし、グラフ上は金利間の違いははっきりせず、5年間積立後の満期受取額で、金利0.01%と1%の場合の比較でも、積立元本60万円に対して利殖分で1.5万円の違いがある程度で、殆ど積立の満期受取額において差が見られない。


◆ローン金利(分割返済)
ローンの場合は様々な形態がある。大別すると「返済回数(年数)を基準とする」か、「返済金額を基準とするか」に分かれます。住宅ローンの場合は年数によって返済金額が決定されますので、分割払いと似たタイプと考えてもいいでしょう。カードローンの場合は、毎月の返済金額を設定することによって返済回数が決定される「リボ払い」を採用していることが多く、クレジットカードでも最近はリボ払いを利用できることが多いようです。

<住宅ローン(返済年限を決める)>
 住宅ローンの固定金利は変動していますが、主要都市銀行の場合、現時点では、0.8~1.6%程度(平均1.3%)となっています。当初1000万円を借り入れ、元利を含めて毎年u万円ずつ返済してゆくとき、T年で完済すると、まず(1)式が適用できます。
借入の時点をt=0年度とし、x(t)をt年度における返済金残額とします。単位期間に返済額がどのように変動するかを考えますと、残額の増加率aはローンの固定金利分であり、残額の減少率は定額の年間の返済額 (-u)になり、返済金残額の変動率は、式(1)にならって
  (dx / dt) = ax - u                 (17)
これを解くと
(18)~(21)式が適用できます。
  x(t) = exp(at) x0 - (1/a) exp(at) (1 - exp(-at)) u   (18)
であり、書き換えると
  x(t) = p(t) x0 - q(t) u                (19)
ただし、
  p(t) = exp(at)                  (20)
  q(t) = p(t) (1/a) (1 - (1/p(t)))             (21)
において、初期の借入金をx(0 )= x0ローンの固定金利を年r%として、ローンの完済期間をT年目とすると、a=r/100で
  x(T)=0
を満たすことになります。なお、実際の返済過程を考えると、ローン返済月額 mで検討することが普通なので、上述の式におけるu=12m なる関係を埋め込んで処理することができる。
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 これらの式を用いローン金利の年利が与えられると、返済期間(年)によってローン返済月額およびローン返済総額がどのように変わるかを示したのが次の2つの図12図13になる。

 全体的傾向として、一定の金利の場合、ローン返済月額は返済期間が長くなるにつれて、逓減するが、逓減率は低下してゆく。一方、ローン返済総額は、返済期間が長くなるにつれて漸増するが、20年の場合、借入金1000万円に対し、金利1%では100万円の金利分の累積を支払うことになるのに対し、金利5%では600万円もの金利分の累積を支払うことになるのがわかる。 b0250968_17513390.jpg

 実際のローン契約では、「ボーナス月の増額返済」「全返済期間の内、初期の一定期間は返済金額を軽減する方式」「一定金利/変動金利」など様々なバリエーションが導入されている。


 以上の預金やローン返済の数学的な仕組みについて固定金利や定額の積立や返済月額を前提に式(1) ないしは(14)という一つの形式の定係数の常微分方程式による表現と理解を行ってきたが、さらに、これらに時間的な変動性や不確定性を導入することが、現実的な課題理解や解決に向けて必要になる場合もあることを付け加えておこう。
                                (2017/08/26 記)
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# by humlet_kn | 2017-08-26 18:07 | 創りだす | Comments(0)