[No.92] 居ごこちのよい鎌倉の・・・(4) ― 味処(その3)

 今回は、わが家の普段使いの食のお店を紹介してみたいと思います。鎌倉に戻って早くも5年を経て、退職後のライフスタイルも定着してきており、日々の食材の入手先や夫婦で気軽に楽しむときに使う食事処も見えてきました。そんな“味処”として、この鎌倉および周辺地域にあって老舗として息づいているお店に焦点を当てて、それぞれから私が感じる“こだわり”を読み解いてゆきましょう。

■ Bergfeld ■ http://bergfeld-kamakura.com/index.htm
b0250968_164376.jpg 1980年鎌倉の雪の下に開店したドイツ系のパン屋です。当時、私は30歳台前半で、10カ月の西ドイツ短期留学から戻った翌々年に当たり、住まいも鎌倉から筑波に移った時期になります。そんな訳で、このパン屋のことが気になり、西ドイツでのくらしの中で毎朝のように親しんだ“ブレッツェン” 写真1)が、鎌倉でも手に入るのかと訪ねた記憶があります(※)。しかし、当時、本場のドイツのそれとはかなり異なったものに感じたことと、ハードなライムギパンを中心にしていたような印象があり、身近に感じたことはありませんでした。その後、このお店に対して大きく印象を変えさせたのは、 “エンガディナー”というクルミやアーモンドなどのナッツをカラメルで包み込んだ焼き菓子でした。私の実家は鎌倉にありましたので、その近くの極楽寺(真言律宗;1259年創建)の境内の簡素な茶屋で、抹茶と一緒にいただくことができたのです。その味は今でも頭の中で蘇えらせることができるほどで、当時、それがBergfeldで作られたモノと分かったときのことです。その後、私は家族で筑波から長岡に30年ほど住まいしたため、実家に里帰りする際にはあまり意識することはありませんでした。
 そして2012年にあらためて鎌倉の稲村ガ崎に住まいを定めて、鎌倉市内はもちろん隣接の藤沢、葉山などのブーランジェリー(フランス系のパン屋)を中心に探してきましたが、普段使いのドイツ系のパン屋(Baekerei)としては、このお店に愛着を覚えるようになりました。b0250968_16452212.jpgb0250968_16454362.jpg現在は雪ノ下の本店と長谷店があり、共に店頭でのパンやケーキ類の販売のみならず、イートインが利用できます。お店の造りは、長谷の方が古民家風(写真2,3)で気に入っています。昨年の秋には本店、そして数日前には長谷店でイートインを利用し、「今日のサンドイッチ」のランチセット写真4)を頼みました。しっかりとした数種のドイツパンをかみしめながらドイツ風のソーセージや新鮮な鎌倉野菜を味わいました。¥1100(税別)でカップスープと飲物・デザートがついて、普段使いのランチとしては十分満足できるものです。どちらも平日のランチタイムで、ほとんど席が埋まっているものの、落ち着いて食を楽しむことができました。b0250968_16473743.jpg個人的な好みとしては、長谷店のイートインの雰囲気が好ましく、ドイツワイン向きのグラスのディスプレイも懐かしさを感じさせてくれました。店頭で購入するドイツ系のパンの味についてですが、昔の印象とは異なり、2010年にこの店も2代目に引き継がれ、フランス系とはひと味違うドイツパンの個性を主張しつつ、私達日本人のテイストに合わせるように進化しているのではないかと思っています。
(※)ドイツ暮しでの“ブレッツェン”は、最もポピュラーな朝食用のパンで、お店に依って味わいが異なるので、それを楽しむことができました。特に、印象に残っているのは、車で家族旅行をする中で、民宿を多用したのですが、その宿の手作りの“ブレッツェン”が焼きたてで朝の食卓に出されると、そのサクサクの外皮と香ばしい小麦のふわふわ感をバターやジャムを添えて味わえるのが、格別のもてなしであったのを思い出します。

■ Ble Dore ■ https://www.facebook.com/bledore.hayama/
 20年以上の歴史を持つという葉山のフランス系のパン屋です。私自身はその存在を知ったのはつい昨年のことで、それも“偶然”に近いものでした。

b0250968_1822659.jpg その記事に入る前に、前置きを少し。長岡から鎌倉に戻ってからも、新たなブーランジェリーがこの地にも続々と誕生していましたが、戻った当初に一番気になったのが、以前からの名店、比較的近くの鎌倉山の“ボンジュール”でした。閑静な住宅街のあの桜並木がよく似合うバス通りにありました。かわいいコテッジ風の建物(写真5)で、b0250968_1832347.jpg落ち着いた木づくりの内装の店舗(写真6)で、しっかりした上質の小麦粉の味わいが特徴だったのですが、残念ながら閉店してしまっていたのです(2012/2とのこと)。
 暫くして、そのボンジュールが再開(2012/7)したというので訪ねてみました(2012/12)。確かに店舗の外観・内観は以前の雰囲気を保っていましたが、バゲットや食パンには以前のテイストは感じられませんでした。その後、鎌倉山店は数年(2015/6)で閉店となり、今はその建物は他の“AROUND”(空中育成植物との共生ライフを提唱)という店として転用されています。b0250968_1845243.jpg一方、ボンジュ-ルの葉山店の方はモダンで素敵なたたずまいの建物で、レストラン兼ブーランジェリーとして継続して営業されており、一度、妻とランチに伺ったことがありました(2016/3)。雰囲気はなかなかなのですが(写真7)、その味は私達の好みとはズレていました。(実は、今回、このブログをまとめる中ではっきりしたのですが、老舗のボンジュールは“葉山ボンジュール”という名前で、2012年にすべての店舗が一旦閉店し、その後相鉄系の経営傘下に入って再開を果たし、葉山一色と鎌倉深沢のスーパーマーケットの相鉄ローゼンに併設して、ベーカリーとしてその名前を引き継いで営業されています。私も、最近は時折、そちらも利用することもありますが、残念ながら、ここで特記することはありません。そして再開/再閉店した鎌倉山店、今も営業を続ける葉山の新生ボンジュールは、経営的には老舗のボンジュールとは独立の“ブーランジェリー・ボンジュール”という名前のお店のようです)

b0250968_1855488.jpg そうこうする内に、私達は歯科治療のためしばしばマイカーで横須賀の歯科大学病院まで通院する機会がふえました。そんなある日、妻の提案で、葉山の一色の老舗洋菓子店“サンルイ島”の隣にベーカリーがあったはずなので一度立ち寄ってみようということになったのが、“Ble Dore”
 https://www.facebook.com/bledore.hayama/?fref=ts
との出会いだったのです(写真8)。何の予見も持たずに、店頭の駐車場に車を入れると、パン店舗の一角のカフェーでのランチに来られた方が待ち行列を作っている様子でした。私達は処せましと並べられた様々なフランス系のパンを一覧して、まずは基本のバゲットと食パンを購入しました。b0250968_1881742.jpg面白かったのは会計には自動支払機があって、パンのカットや包装などを行うスタッフが、お金に直接触れることのないよいようにされていたことです。そして、わが家のふだん使いのちょっと贅沢な朝食パン(写真9)の定番になったのです。
 その後のわが家にとっての朗報は、昨年の9月末に、 “葉山ステーション”という道の駅(Shopping Plaza)があらたに誕生し、その中に、Ble Doreの店舗が入ったということでした。
  http://www.hayama-station.jp/
 b0250968_1893799.jpg早速、9/26にわが家から車で30分ほどで、訪れてみました(写真10)。葉山町を中心にしたこだわりの食材、食品、料理が提供され、共通のイートインコーナーもあって、b0250968_18122138.jpg観光客にも地元民にも役立つちょっとオシャレなマーケットという感じです(写真11)。おかげで、この半年は、わが家のパン購入は、2回に1回はこのb0250968_18154149.jpgBle Doreの葉山ステーション店(写真12)に伺っていて、やはり山型/角型で断面サイズの大/小がある食パンとフランスパンのパリジャン/バゲット/バタールからの選択が欠かせません(写真13)。b0250968_18173259.jpgそして注目は、これまでに2度ほど購入したフランス産発酵バター入りの高級食パンの“エレシ食パン(山型/角型)”です。すなわち、Ble Doreの一番のこだわりは、食パンにあると思います(写真14)。
 実際に食してみての私の印象ですが、標準的な角食パン[1斤\340]とエレシ角食パン[1斤\491]をトーストしてみると、b0250968_18201225.jpgまず“エレシ”の何とも言えないバターの香りに惹かれます。そして、食感は“標準”で、しっかりした外皮と噛み応えのある内部であるのに対し、“エレシ”ではそれに加えて微妙なサクサク感が加わります。 味わいについては、“標準”で小麦の深い旨味、そして“エレシ”では発酵バターの香ばしさが口の中に広がり、プレーンなトーストでも堪能することができるのです。このエシレ角食パンは、2014年3月NIKKEI何でもランキングのぜいたく食パンベスト10で、数ある有名店を抑え、1位にランクされているのです。
 http://www.nikkei.com/article/DGXZZO67476680X20C14A2000000/

 b0250968_18221954.jpgb0250968_18225772.jpgさて、この店舗のこだわりについて、もう一つ私が気になっていることがあります。それは、写真(写真15)にもあるように、店舗内の一つの壁面には絵画が2枚掛かっているのです。手前がやや抽象画的な油彩画(写真16)であり、奥側がマリーローランサン(Marie Laurencin)のエッチングb0250968_18242674.jpg写真17)のようでした。店のスタッフに聞いてみると、これは開業時(1995年)からの社長(橋本宗茂氏)のこだわりとのことでした。ここの絵だけでも家が買えるほどだそうです。これからもこんなお店を大事にしてゆきたいと思います。

◆追記◆
 ここで、そこに至るまでの、私のフランス系のパンとの出会いについて、少し振り返ってみましょう。“フランスパン”というものを初めて意識したのは、50年も前の仙台での大学生時代のことでした。当時は下宿暮らしで毎朝、食パンを出してもらっていましたが、繁華街の東一番町に出ると“ひらつか”という洋菓子店でたまにバゲットを手に入れて楽しんだのが始まりだったように思います。大学卒業後は、東京の蒲田近くの下丸子に職場があり横浜や鎌倉から毎日通ったのですが、その途上の蒲田駅ビル(?)に“サンジェルマン”というお店があって、ここが私の普段使いの多様なフランスパンとの出会いの原点だったように思います。
b0250968_182802.jpg 1970年代末からの人工的な筑波研究学園都市での新住民としてのくらしが15年続く中では、モダンな公園・遊歩道や文化施設やショッピングモール“クレオ”が整えられてゆき、洞峰公園近くの“モルゲン”(1983年~)(写真18:2013秋に再訪)と“西武百貨店”の中の“ポルトガル”がちょっと贅沢な普段使いのパン屋になりました。モルゲンはその名前の通り、どちらかというとドイツ風で、ポルトガルの方がフランス風のパン屋でしたが、私の感覚ではそれほどその違いを意識することはありませんでした。やはりモルゲンがハード系、ポルトガルがソフト系で、前者の方が“質感”は高かったように思います。いまもモルゲンはお隣のケーキ屋“シーゲル”とともにつくば市の人気店となっているようです。
 そして長岡への1995年の転居。これはある意味では「フランス系パン文化」としては“秋の時代”だったように思います。転居当初は例の“サンジェルマン”が長岡駅ビル内にあったのですが、すぐに消えてしまい普通の街のパン屋さんが市民のくらしに浸透していました。そんな中で唯一“ラ・ボントーン”という小さなフランス系パン屋が住宅街の一角にあったのでそれを時折利用することではじまりました。長岡は「お米」の食文化の中心地であり、「しらゆき米」「日本酒」「煎餅(あられ)」「笹団子」が日常的にも土産としてもすぐれモノという位置づけでした。しかし、長岡在住の17年の間には、確実にパン需要も増えてゆき、“ラ・ボントーン”も場所を移して(http://www.bonton.jp/)、立派なフランス系パン屋として市民に定着してきたように思いました(写真19)。b0250968_18292186.jpgただし、ここのパンは焼きがしっかりしていて、フランス系パンに求められるハードな外皮の中にサクサクした内部の食感を求めるのは難しかったというのが実感でした。
 そんなときブーランジェリーとして気に入っていたのは、b0250968_18305149.jpg東京大丸デパート地階の “ポール・ボキューズ”写真20)でした。長岡から仕事で上京する度に必ず立ち寄り、パンドミー、バタール、プチ・ミッシュというプレーンなものを携えて家に戻りました。多くの手の込んだ菓子パンや食事パンがありますが、これらプレーンなパンは価格対満足比が抜群で、特にパンドミーは、フランスパン生地で作った食パンという感覚が新鮮でした。
 ただし、Ble Doreと比べると、価格帯がもちろん異なるのですが、歯応えはサクサクで、軽めのパン作りとなっていて、旨味ではやや劣るというところでしょうか?パリの街角のパン屋の雰囲気をちょっぴり味あわせてくれるこの店には、今も東京へ出かけたときには引き続き利用しています。
                             (2017/05/16記)
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# by humlet_kn | 2017-05-16 09:37 | 出あう | Comments(0)

[No.91]くらしの中で数学を(2)- サイズの規格化・系列化を探る(その2) -

(4)人体の部分サイズ比と黄金分割系列を体系的にとらえたル・コルビジェ
b0250968_112546100.jpg 人体のプロポーションについてはギリシャ彫刻をみても古来、美意識と結びついて着目されてきたことがわかります。代表的にはルーブル美術館所蔵の「ミロのヴィーナス」写真4)のプロポーションが挙げられます。この彫刻は、『ギリシア、キクラデス諸島のメロス島(現代ギリシア語でミロ)で1820年に発見された神像。高さ2.02m。前2世紀末の作品で、パロス大理石、寛衣の位置でつながれた2つの大理石のブロックで構成された丸彫、左腕と左足は別に加工されている。この作品は、前3世紀から1世紀の間のヘレニズム時代の期間に出現した革新を反映している。螺旋状の構成、三次元空間への人物像の挿入、小さな胸を持つ上半身の伸びなどは、この時代の特徴である。この女神は、腰の位置の衣服が滑り落ちたことにより、両脚でそれを挟む瞬間を捉えられている。』[7][8] プロポーションにみられる黄金比は、(足元~臍位置):(臍位置から頭頂)=1.618:1であり、さらに(臍位置~頸のつけね):(頸のつけね~頭頂)=1.618:1であるとされています。
 b0250968_11262358.jpgルネサンス期における人体のプロポーションについてはレオナルド・ダ・ヴィンチの記した『ウィトルウィウス的人体図』(1485年頃、アカデミア美術館[ヴェネツィア]蔵)(写真5)が有名です。これは古代ローマ時代の建築家ウィトルウィウスの『建築論』の記述をもとに、ダ・ヴィンチが描いたドローイングで、身長に対して臍位置で黄金分割されているのです。ちなみに同時代のミケランジェロのダビデ像においても同様とされています。
 これらの人体のプロポーションに関する知見を建築学的にとらえ、近代建築の基準的比率体系にまとめて『モデュロール (Modulor)』として提案したのがフランスの建築家ル・コルビジェ[9]でした。
 人体の各部位間の寸法を比較し、黄金分割による縮小系列を当てはめて体系的にとらえています。この体系をモデュール(module)と黄金比(section d’or)の合成語として“modulor”と名付け、均整の取れた人体寸法に適合する建築空間の構成基準としたのでした。具体的には、図10のように身長1829mm(6 feet)の人物を想定し、各部位間の寸法が黄金比の縮小系列で構成されています。
b0250968_11274675.jpg まず基本となるのは立位の人体で、
(L1 足元~臍位置):(L2 臍位置から頭頂)=1130mm:698mm=1.618:1
としており、上半身と下半身の割合に注目しています。また、建築空間設計において大きな意味のある、片手を挙げた指先高さ(上肢挙上指先端高2280mm)について、頭頂からの距離を432mmとすると
(L2臍位置~頭頂):(L3頭頂~上肢挙上指先端)= 698:432 = 1.616:1
となります。下半身については、膝位置による分割比に着目すると、
(L4膝位置~臍位置):(L5足元~膝位置)= 698:432 = 1.616:1
となっています。これが図10での赤色表示系の体系になります。
 一方、足元と片手を挙げた指先(上肢挙上指先端高2280mm)間の寸法をベースに黄金分割を、次々と縮小系列で分割していったのが青色表示系となりますが、その詳細については原著[8]を参照してください。
 さて、コルビジェ自身もモデュロールの提唱を思考しているときに、フランス人の標準的な男性の身長である1750mmをベースにすることを考えたようですが、黄金比の体系による分割が実際の身体部位と必ずしも整合しなかったことから、スマートな英国紳士(6 feetの身長)を想定して体系化したとされています[10]
b0250968_11285746.jpg コルビジェは、このモデュロールを自らの建築設計に実践した建物としてはマルセイユの“ユニテ・タビシオン”写真6[11]が知られています。その外観と現在も居住者のいるb0250968_1130375.jpg一室(写真7)を見てみると至るところに黄金比が隠されているように見えます。またWeb Siteから見つけたのですが、森美術館で開かれたコルビジェ展[12][13]の象徴的な写真8にモデュロールと建物の関係を示唆する展示がありました。天井高や階段、作業空間の寸法との関係を考えさせる表現が、興味深いところです。
b0250968_11313078.jpg

(5)人間生活工学視点での若干のコメント
ところで、ここで日本人の人体寸法に着目してみたいと思います。私の勤務したことのある工業技術院の研究所では、人間工学関連の研究の一環で、設計基礎資料となる人体寸法の計測とその統計データの整備を行っていました[14]
 図11は、その人体寸法計測の多数の計測部位を示したものですが、前述のダビンチやコルビジェの文脈に関わる人体寸法の部位として、
b0250968_11364013.jpgB1:身長、B12:臍高、B24:膝蓋骨中央高、B28:上肢挙上指先端高
に着目してみましょう。すると前述の黄金比とされた部位寸法については、成人男子の測定平均値を当てはめてみますと、
全身の下半身と上半身の比率について
(L1 足元~臍位置):(L2 臍位置から頭頂)
=(B12):(B1-B12)= (1004mm):(1714-1004mm)
=1004mm:710mm = 1.414:1
上半身の上肢挙上指先端までの頭頂位置による分割比について
(L2臍位置~頭頂):(L3頭頂~上肢挙上指先端)
= (B1-B12):(B28-B1)
= (1714-1004mm):(2150-1714mm) = 710:436 = 1.663:1
下半身の膝位置による分割比について
(L4膝位置~臍位置):(L5足元~膝位置)
=(B12-B24):(B24)= (1004-458mm):(458mm)
=546:458 = 1.192:1
 以上から、日本人の成人男性では、「上半身と下半身の比率(L1:L2)が黄金比というよりも白銀比となっている」のが興味深いところです。しかし、「上半身の上肢挙上指先端までと頭頂までの寸法比(L2:L3)が黄金比に近い」のに対して、「下半身の臍位置による分割比(L4:L5)は白銀比よりもかなり小さくなっている」のがわかります。すなわち、日本人は上半身については西洋人と大差ないプロポーションなのですが、下半身が短小で、特に大腿部の短小さが特徴的なように見えるのです。この脚部寸法に関する特徴の由来は、日本人の長い歴史の中で、座位姿勢中心のくらし方がなされてきたことと関連している可能性もあります。いずれにせよ、日本人にとって日常的に意識する人体寸法のバランス感覚は白銀比をベースとしつつ、環境や姿勢、行為により柔軟に変化してきたのかもしれません。
 すでに黄金比や白銀比が長方形の縦横比の調和感覚と結びついているとの考え方が歴史的にも受け継がれてきてきているのですが、その縦横の黄金比の調和感覚の源泉の一つと考えられるものに、人間の両眼による視野角があるのではないかと調べてみました。図12の前方正面の一点を注視した際の左右、上下の視野角は、[-104~104度] [-74~58度]であり、その比率はほぼ1.58となっています。b0250968_1138105.jpg両眼視野を有効活用できる横長の長方形が縦横比は黄金比に近いことがわかりました。その意味では、現在のTVやPCのワイドディスプレイの縦横比が「9:16」を基準としているのは理解できます。
 以上、人体に由来する生体としての比率に着目しましたが、認知心理学の考え方によれば、私達が生まれながらにして受けいれてきた環境が、人間(生物)の環境知覚・認識機能あるいは環境と人間(生物)との間の相互作用を規定する役割を有しているとするアフォーダンス(affordance)[15]というとらえ方があります。そうした観点で、日常的に接している、自然(生物を含む)、人工物(伝統的なものを含む)とそれに関わる人間の行為の関係を調べてゆくと、黄金比や白銀比の源泉がその対象の人間の知覚と対象への行為との関係性の中に見つかるかもしれません。

[参考資料]
[1] Edtech & Inno: 黄金比と白銀比で美的センスを養いながら、日本人の美意識について考えてみる、https://naohilog.com/chat/golden-ratio-and-silver-ratio/
[2] [Design] 黄金比より日本人に馴染みのある白銀比、https://matome.naver.jp/odai/2138632436453836601
[3] 松岡史和:9.図形と数(黄金数・ピュタゴラス数)、わかる数理教材、金沢工業大学、http://w3e.kanazawa-it.ac.jp/e-scimath/contents/t09/
[4] 朝香正:ポンペイ 古代ローマ都市の蘇生、芸艸堂、1997.
[5]フィボナッチ数、Wikipedia.
[6] ゆーふぁむ(U_fam)HP: フィボナッチ数列と黄金比、【第弐話】芸術・自然と数学の融合[おもしろ数学講座]、
http://www.cwo.zaq.ne.jp/bfaby300/math/fibona.html
[7] アフロディーテ、通称「ミロのヴィーナス」:ルーヴル美術館(日本語)HP: http://www.louvre.fr/jp/
[8] ミロのヴィーナス、Wikipedia.
[9] ル・コルビュジェ(吉阪隆正訳): モデュロール (Ⅰ,Ⅱ)、SD選書:鹿島出版会、1976.
[10] 福嶋勝浩:ル・コルビジェの「モデュロール」と現代建築の基準寸法について、PASCAL – Human Communication Network、有限会社パスカル、平成21年8月、http://www.cocoa.co.jp/pdf/repo01.pdf
[11] マルセイユのユニテ・ダビタシオン:ARCHITECHTUAL MAP、
http://arch-hiroshima.main.jp/main/a-map/france/ud_apartment.html
[12] ル・コルビジェ展:建築とアート、その創造の軌跡、六本木ヒルズ 森美術館、2007
http://www.mori.art.museum/jp/exhibition/exhibition2007.html
[13] LE CORBUSIER展:展覧会や催し物見て歩き、小林志郎建築設計事務所website、
http://koba-office.la.coocan.jp/topics2/corbusier/corbusier.htm
[14] 生命工学工業技術研究所:設計のための人体寸法データ集、生命工学工業技術研究所研究報告、Vol.2 No.1,1994.
[15] アフォーダンス (affordance)、Wikipedia.
(2017/03/30 記)

===================== <完> =====================
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# by humlet_kn | 2017-03-31 11:38 | 解かる | Comments(0)

[No.90]くらしの中で数学を(2)- サイズの規格化・系列化を探る(その1) -

 今回もモノの形や大きさに関連した“サイズ”の話です。長さ、重さ、時間については古来“単位”が定められ、対象物を定量的に比較する際の基準になってきましたが、実際のモノづくりを効率よく、行ってゆくには、さらに一定の規格化された、あるいは系列化された、部品を作成しておき、それを選択したり、組み合せたりすることによって、実用に供することが行われてきました。ここでは、規格化されたり、系列化された部品の組合せで、どのくらいの自由度と範囲のモノづくりが、カバーできるのか、数学的にとらえてみたいと思います。

(1)大きな長方形を半分にカットし小さなサイズの相似形を順次生成する規格系列は?
 b0250968_17313333.jpg前回の「No.85 くらしの中で数学を(1)」あるいは「No.73鎌倉そぞろ歩き(13)」でも触れましたが、私達が日常的に用いる文書用紙にはA版とB版とがあります。図1を見てください。長方形の用紙の長辺をa、短辺をbとしたとき、その長辺の中点で用紙を短辺に平行にカットし面積を2等分したとき、新たな長方形の長辺がb、短辺がa/2となりますが、これがカット前の長方形と相似形となるためには、aとbの関係はどうなっていればよいのでしょうか?
 元の大きな長方形ABCDの短辺bの長辺aに対する比はb/aで、長辺の中央でカットした長方形ABEFあるいはFECDの短辺はa/2、長辺はbとなるのでその比は (a/2)/b となる。これらが相似形であるためには
  b/a = (a/2)/b
を満たさなければならず、
b0250968_17394858.jpg  (a**2) = (b**2)×2
ここに、**はべき乗を表しています。よって
  a = √(2)*b
が得られます。
 この比率は「白銀比」と呼ばれ、古来、日本では建物に関する美意識と深く結びついてきたと言われています。例えば、法隆寺の五重塔(図2)の最上層と最下層の屋根の幅の比率は白銀比を持つということです[1][2]。また、私が和の建築物でもっとも美しい佇まいをもつと感じている建物の一つに鹿苑寺の金閣(図3)がありますが、その二層の屋根の底面幅を調べてみたところ、南面が黄金比(次項参照)、側面が白銀比となっていました。そのことの意味付けは不明ですが、美意識の混在の表われであれば興味深いところです。
b0250968_1742768.jpgb0250968_17441152.jpg
 さて、作図としてbが与えられると、aはどのように描けるのでしょうか。図中の四辺形ABPQをbを1辺とする正方形とするとその対角線BQの長さが√(2)*bとなるのでBQについてBを中心に円弧を描き、これでCを定めれば良いことになるのです。
b0250968_1748174.jpg このような操作で次々と長辺を中央でカットし、半分の面積を持つ相似形の長方形を生成していくと一定の系列ができます。特に、元の大きな長方形の原紙の面積を1㎡とし、白銀比の比を持つ長方形を出発点A0判(841×1189 mm)として産出してゆく規格系列がA0,A1,A2,A3,A4,A5,…です。(図4参照) また、元の大きな長方形の原紙の面積を1.5㎡とし、白銀比の比を持つ長方形を出発点B0判(1030×1456 mm)として産出してゆく規格系列がB判系列です。
 身の回りの用紙のサイズでは、多くの公的文書で現在はA版が用いられていますが、書籍ではまだまだA版系列とB版系列が混在しているようです。また暮らしに密着した「名刺(56×91 mm)」、「官製はがき(100×148 mm)」、「新聞(406×546 mm)」では、それぞれB8、A6、A2に近いものの一致はしていません。生活場面では、これらによって書類棚や本箱、鞄、ファイリングなどの寸法の対応化が求められることになります。

(2)大きな長方形から正方形を切り出し残りの小さな相似形の長方形を順次生成する規格系列は?
こうした用紙の寸法の規格系列ではないのですが、元の長方形を一定の規則によってカットし、生成される一方の断片が正方形、他方の断片が元の長方形と相似形となるような、長方形の短辺:長辺の比率が、「黄金比」と呼ばれるものです。b0250968_17525129.jpg図5を見てください。長辺がa、短辺がbの長さを持つ長方形ABCDの左部分に1辺がbの正方形ABPQを作り、線分PQでカットした時、長方形PCDQが長方形ABCDと相似形であるためには、aとbの比はどのようになっているでしょうか。
  b/a = (a-b)/b
を満たさなければならないので、
  b**2 = a(a-b)
から
  a**2 – ab – b**2 = 0
よって、
  a = (1/2)(b + √(b** + 4b**2) = (1/2)(1+√(5))b
となります。
 これにより、黄金比の長方形ABCDの作図法は、正方形ABPQを半分に分割するEFを引き、線分EQを点Eを中心に回転させ点Cを求めることで可能となることも分かります。
b0250968_17565486.jpg この「黄金比」は、エジプトやギリシャ、ローマなどの古代文明でも建造物や彫刻などに関する美意識と関わっていたとされています。例えば、アテネのパルテノン神殿写真1)の正面外形矩形の縦横比やの[1][3])。b0250968_17574579.jpg写真2はローマ帝政の支配下にあったイタリア・ナポリ近郊のポンペイがヴェスヴィオス火山の噴火(西暦79年)で廃墟となった遺跡から発掘されたティベリウス帝凱旋門である[4]。その美しい外形の縦横比は黄金比となっているのがわかる。
 では、このように、元の黄金比の長方形に対し短辺を1辺とする正方形を切り出す操作を施し、残った長方形として新たな小さな黄金比の長方形を得る。さらにこの小さな長方形を元の黄金比の長方形として、同様の操作を施していくと、相似形の黄金比の長方形が次々と生成一定の縮退長方形系列ができます。(図6参照)
b0250968_1852230.jpg
 この黄金比と表裏の関係にあるのが「黄金分割」です。古代ギリシャでは「外中比分割」と言われました。図7のように線分ABの上に点Pを置いて、
 BA : AP = AP : PB
よって、BAの長さをa、APの長さをbとすると
 a : b = b : (a – b)
であり、
b**2 = a (a – b)
よって、
a**2 – ab – b**2 = 0
aを求めてみると
b0250968_2144752.jpg
 a = (1/2)(b + √(b**2+4*b**2)) = (1/2)(1 + √(5))b
となりAP : PB = (1 + √(5)/2 = 1.618は黄金比となっています。
そして、図8では、図7の線分ABの点Pによる黄金分割をベースに、線分PBの長さを線分AP上の線分AB’に移すと、線分APの点B’による黄金分割が形成される。同様の手順を繰り返すことにより、線分の黄金分割の縮小系列がつぎつぎと生成されることになる。この系列は、図6で生成された黄金比を持つ長方形の縮退系列にb0250968_2181070.jpg対応するものになっているのが分かります。

(3)小さな正方形から順次大きな正方形を一定の法則によって生成してゆく系列は?
 ここで、小さいサイズの正方形から、一定の法則にしたがって次々と大きな正方形を生成してゆく系列として、フィボナッチ数列[5][6]に基づく方法をとりあげてみたいと思います。
 イタリアの数学者Fibonacciがアラブの数学を紹介した1202年に出版の「算盤の書」の中に記載されている有名な数列である。「ウサギの出生率に関する問題」対する解答として記しているという。ここでは単純化し、年齢をもつ無性の生物個体が増えてゆく過程としてこの数列の意味を見てみます。
b0250968_21282751.jpg
 [問題設定] 生物個体は、年齢1歳以上の各個体から毎年1個体生まれる。生まれた個体は、年齢1歳になるまで、新たな個体を産むことはできません。表1を見てください。
時間刻みを1年づつとしtで表すとし、
B(t): 時刻tでの生まれたての個体数
N1(t): 時刻tでの1歳以上の個体数
N(t): 時刻tで合計の個体数
とすると、以下の式が成り立ちます。
最初の年(t=0)に、B(0)=1, N1(0)=0とし
t年後については
 B(t)= N1(t-1)
N1(t)= B(t-1)+N1(t-1)
N(t)= B(t) + N1(t)
となります。これらの式をt=0,1,2,3,…に次々に当てはめてゆくと、個体数が
  N(0)=1, N(1)=1, N(2)=1+1=2, N(3)=1+2=3, N(4)=2+3=5, N(5)=3+5=8, N(6)=5+8=13, …
表1のように生成されてゆきます。
すなわち上述の時刻tに関する式から
 N(t)= B(t) + N1(t)
= N1(t-1) + (B(t-1) + N1(t-1))
= (B(t-2)+N1(t-2))+N(t-1)
=N(t-2) + N(t-1)
が得られるのです。したがってフィボナッチ数列は、1,1から始めると
1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144, 233, 377,…
b0250968_21335122.jpgとなります。無性生物の個体数の最も単純な増殖過程の系列になっており、暮らしの中でも、初めは一片のカビや雑草であっても急速に繁茂してしまう過程を想起させます。この系列の数を一辺とする正方形を次々とより大きなものに渦巻き状に作り出してゆくと、図9のような形態が得られるのがわかります。b0250968_21354312.jpg小さな2つの正方形の結合がその合計の辺長をもつ新たな正方形を形成し付加され、巻貝が成長していくような形態を産み出してゆくのです。そのイメージを実際の巻貝の形の写真3で示しておきます。

ところで、表1には、右端の列に、フィボナッチ数列の隣り合う二つの年の数の比率
  R(t) = N(t) / N(t-1)
を記してありますが、時間(年)が進むにつれて、「黄金比」の1.6180339887…に近づいているのがわかります。数学的にも証明できることが知られています[5][6]
 実際、図6で黄金比の長方形を正方形でカットし、その残りの小さな黄金比の長方形を作るという操作を繰り返してゆく過程のパターンみましたが、図9のフィボナッチ数列による正方形の増殖過程のパターと比較すると、酷似していることがわかります。確かに正方形が小さいうちは、次々と形成される辺の長さの比率は表1の右端列にあるように
 1.0, 2.0, 1.5, 1.67, 1.60, 1.625, …
と黄金比とは異なっているのですが、次第に1.6180に近づいてゆき、図9のパターンも図6に近づいてゆくのがわかります。


=================== <No.91のブログにつづく> ===================
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# by humlet_kn | 2017-03-30 18:05 | 解かる | Comments(0)

[No.89]いま越後を想う(9)― 大火の糸魚川に寄りそって ―

 昨年(2016年)12月22日の昼前にその大火は発生した。糸魚川市の昔からの市街の大町、本町の建物密集地を嘗め尽くして30時間後にようやく鎮火した(写真:新潟日報による焼失地域 12/23 午前10:30頃)。b0250968_214275.jpgTVでその光景を目の当たりにして、何度も訪れたことのあるこの街に起っている現実がとても他人事とは思えなかった。
 駅北口近くの中華料理店の火元周辺から海岸に向かう約40,000㎡の一帯の144棟(全焼120棟・半焼4棟・部分焼20棟)が焼失したという。人的被害は、消防団員9名を含めて、中等症1名と軽症15名の計16名であったが、死者が出なかったのは幸いであった。ここに地域における越後人の絆を垣間見ることができる。その一方、1650年創業の「加賀の井酒造」、そして相馬御風所縁の品を所蔵し195年の歴史を刻んだ割烹「鶴来家」等が焼失してしまったという。
私自身、かつて長岡に住まいしながら、なぜかとても気に入って4度に亘ってこの街およびその周辺の地域を訪れた際に感じた心象を通して、この地の風土と文化、そしてその背後にある市民の心意気について記してみたい。そのことで、糸魚川の復興を応援できればと願っている。

<江戸/明治期の食文化を護ってきた名家と出会う>
 この焼失地区の街並で思い出すのは、「加賀の井酒造」の佇まい、そして「そば処 泉屋」と「鶴来家」での食体験である。
①加賀の井酒造(2003/03/29)
b0250968_2148521.jpg 初めての糸魚川。私は家内とヒスイの街という位の意識で、訪ねた。閑散とした地方の小さな街。街並を実感しようと本町通りを西から東に向けて散策した。歴史的景観を再現するためにその通りはレトロな街並を見せていた。そんな中でまず目を惹いたのが「加賀の井酒造」(写真)だった。新潟県には殆どの地域に伝統的な地酒を造り続けている酒蔵がある。そのときはそんな一つの酒蔵であろうという意識しか持てなかったが、その店構えは今回の大火の報を聞いてすぐに脳裏に蘇った。あらためてアルバムを紐解いて見つけたのが、右の写真である。ただし、その時は酒を購入したという記憶はない。
 今回あらためてその歴史を辿ると、加賀藩三世前田利常公ゆかりの創業(1650年)ということで、宿場の本陣が置かれたという。大火に関する、加賀の井酒造の親会社である名古屋の古い醸造会社の森田(株)のWEB掲載情報として、大火1か月後の本日現在以下の記述しか見つからなかった。(http://moritakk.com/release/161222/)

◆新潟県糸魚川市の火災に関するお知らせ(加賀の井酒造)   2016年12月22日
 各位 新潟県糸魚川市の火災に関するお知らせ(加賀の井酒造)   盛田株式会社
 本日、新潟県糸魚川市で発生した大規模な火災において、当社子会社である加賀の井酒造株式会社の状況をお知らせいたします。
          記
 1.被災の状況について  22日午前10時半ごろ、新潟県糸魚川市大町で発生した大規模火災により延焼、酒蔵を含め社屋が全焼いたしました。なお、人的被害はありません。
 2.営業再開について  鎮火後、状況を確認の上、判断いたします。
 3.業績への影響  調査の上、必要に応じてお知らせいたします。       以上

②そば処 泉屋(2003/03/29)
 私が、上記の加賀の井酒造との出会を体験した時、家内とともに昼食をすぐ隣の「そば処 泉屋」でとっていた。明治時代に創業の老舗の蕎麦屋という。その店内の佇まい(写真)は、小奇麗な和のしつらえで、心地よい時間と喉ごし(写真)を味わったことが蘇ってきた。
b0250968_8435548.jpg b0250968_8442244.jpg

◆大火から1か月、店主によるブログからhttp://blogs.yahoo.co.jp/izmuu52):
 「今朝、泉家のガレキ処理が始まりました。火災から一ヶ月、私どもの思いは一つでした。『蕎麦屋しかできませんので、元の場所で、小さくて良いので、もう一度蕎麦屋を再建したい』。このひと月、本当に多くの皆様から励ましやお見舞いを賜りました。そのお気持ちにお答えするためにもこれからもぶれる事なく前を向いてまいります。『ゆっくり、のんびり、一所懸命、楽しんで』。」

③老舗料亭 鶴来家(2009/04/04)
b0250968_8544217.jpg 家内とともに鶴来家を訪ねたのは、糸魚川訪問3度目の旅の折であった。事前にネット検索でこの街の老舗料亭を調べて昼のミニ懐石コースを予約していたのである。創業195年の歴史に育まれた和の食文化の系譜を味わってみたいと思ったのである。春休みも終わりまだ肌寒い、さすがに昼食のために訪れる客には遭わなかったが、海辺近くの鶴来家の看板のかかった玄関(写真)を入り、少し古びた簡素だが整った和室(写真)に通された。運ばれてきた料理(写真)も、やや大胆な色使いの器に盛られた、地の魚介中心のもので、ゆったりとした時間を過ごすことができた。
b0250968_85548100.jpg b0250968_8561247.jpg

 今回の大火で完全に焼失してしまった料亭の建物、しかし料亭社長の青木さんは、昨年4月から糸魚川―上越妙高高原間で運行をはじめた観光列車「えちごトキめきリゾート雪月花」の特製弁当の提供にこだわり、焼け残った自宅敷地内のプレハブ小屋の仮設調理場で、1月8日の火災後初の運行分の26食を調理し、復活を誓ったという(毎日新聞 2017/1/10の記事より)。

<明治から昭和の芸術・文芸活動を支えた心意気>
① 谷村美術館(2003/03/29)http://gyokusuien.jp/outline/
 その美術館とは、初めて糸魚川を訪問した際に出会うことになった。糸魚川といえばフォッサマグナ(地質学的な大きな溝)と翡翠(ヒスイ)が良く知られており、私達もそれらに関連した施設や場所を見学したいとやってきたのであるが、それらを超えた存在がこの「谷村美術館」であった。JRの駅からみると今回の大火地区とは反対の山側で、落ち着いた静かな地域にあった。当初は著名な造園家(中根金作)の造った日本庭園と隣接して美術館があるというので訪ねたのであるが、その美術館に惹き込まれてしまったのであった。開館は1983年で、地元の建設会社「谷村建設」(URL= http://www.tanimura.co.jp/ )の初代社長・谷村繁雄が、建物の設計を村野藤吾(1891-1984年)に依頼して生まれたという。村野最晩年の作品である。
 西域のシルクロードの石窟遺跡を思わせる様な大きな塊が荒涼とした砂漠に横たわっている(写真)。その塊へは陽光に照らされた白い石壁の回廊が木の覆いをしつらえられて人々を導いてゆく(写真)。ひとたび中へ入ると、そこには天空の光が舞い降り、洞窟の空気に包まれた気高い木彫の仏像が、影の空間から光の空間の中に、一つ一つ顕われてくるのである。澤田政廣(1984-1988)の仏像作品「金剛王菩薩」「光明佛身」「弥勒菩薩」「曼珠沙華」など10点との沈黙の対話である。私にとって、“仏像”と“彫刻芸術”の融合を体感した初めての経験であった。これらの仏像作品については谷村美術館のWEBサイトを参照いただきたい。なお、澤田の出身地の熱海市にも、この谷村美術館を参考にデザインされた「澤田記念美術館」が1987年に開館していることがわかったので、是非訪ねてみたいと思っている。
b0250968_9144681.jpg b0250968_915681.jpg

 建築家の目でこの美術館を解説しているWEBサイトがあるので詳しくはそちらをご覧いただきたい。
 (a) 谷村美術館: 空間芸術研究所/vectorfield architects > 建築 > 谷村美術館
URL= https://vectorfield.net/2015/12/05/%E8%B0%B7%E6%9D%91%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8/
 (b) けんちく目線でみてみよう!「谷村美術館」
 URL= http://www.haconiwa-mag.com/magazine/2016/02/tanimuramuseum/
 
 その後、強い印象をもった私は、糸魚川を訪れるたびに、この美術館を再訪したいと考えてきたが、一般公開が行われなくなり、見学には特別な申込みが必要だったことから、ついに長岡を去る(2012年)までには叶わなかったのである。しかし、今回の大火を機に糸魚川の情勢をWEB上で紐解いてみると谷村美術館も再び一般公開されていることを知ったのはよろこびであった。
このような越後の一地方都市に、地域の風土の中で木彫と建物を一体的にとらえ、至高の芸術作品として残すことに拘った谷村繁雄という人物に感謝の念を禁じ得ないのである。
 ところで、当美術館の設計者の村野藤吾(1891-1984)については、この最晩年の作品以前に、多くの著名な現代建築を手掛けており、私が住む鎌倉の近くでは、「横浜市庁舎(1959竣工)」、「箱根プリンスホテル(現、ザ・プリンス箱根芦ノ湖;1978竣工)」があるが、谷村美術館には次元の異なるコンセプトが埋め込まれているように感じている。

② 相馬御風記念館(2009/04/04)
http://www.city.itoigawa.lg.jp/gyofu/
 料亭「鶴来家」での昼食後、駅南側付近を散策してみようと、まず立派な社の森が目に入ったので訪れてみたのが、天津(あまつ)神社・奴奈川(ぬながわ)神社であり、地番が一の宮となっていることからもこの地域の中心的な崇敬を集めた神社であったのであろう。実際、由緒ある萱葺の拝殿を中心に、いくつもの社がかなり広い境内に豊かな木々とともに配置されていた。(参照URL= http://www.genbu.net/data/etigo/amatu2_title.htm
b0250968_9221959.jpg 天津神社を経て次に訪ねたのが隣接する糸魚川歴史民俗資料館としての「相馬御風記念館」であった(写真)。当時は、この地が良寛研究の第一人者、相馬御風(そうま・ぎょふう)関連の重要な資料館であるという認識も意識もなかったことから、現在、振り返っても記憶に蘇ることがないのは残念である。私自身、長岡に住まいながら、一般的な観光対象としての出雲崎や与板、和島そして国上山の五合庵などの良寛ゆかりの地や書画の所蔵記念館などを訪ねてはいたが、良寛の生き様や作品探究には踏み込んできていなかったので、相馬御風という人物を知ったのは、退職後に良寛や貞心尼への関心が高まってからのことである。
 相馬記念館の公式WEBサイトの記述によれば、「明治から昭和にかけて歌人、詩人、自然主義評論家、作詞家、翻訳家、随筆家、郷土研究家、さらに良寛研究の第一人者として活躍した相馬御風の関係資料を中心に、御風と親交のあった人々の作品や古書画などのコレクションを収蔵・展示しています」とのことである。b0250968_9205845.jpg彼の略歴は、1883年糸魚川で生まれ、高田中学、早稲田大学卒(1906)、早稲田大学講師(1911-1915)、再び糸魚川に隠棲(1916)し、30数年をこの地で過ごし、1910年、66歳で逝去している。作品としては早稲田大学校歌「都の西北」、日本初の流行歌「カチューシャの唄」(島村抱月との共作、作曲: 中山晋平)、童謡「春よこい」(作曲: 弘田龍太郎)、「かたつむり」(作曲:弘田龍太郎)などが知られるが、彼の良寛研究は糸魚川へ退住してから、晩年までの30数年に及び、後半生は良寛研究とともにあったという。良寛関連の著書は21冊にのぼるが、その中でも著書『大愚良寛』(1918年)(写真)では、良寛の生涯とその芸術、思想が論じられており、現在でも良寛研究の規範とされているという。
なお、前述の谷村美術館設立に当たって仏像作品の作者・澤田政廣が参画するに至ったのは相馬御風との長年の親交があったことが関わっているとされる。

<特異な風土にとけ込む花を愛でる>
①月不見(つきみず)の池 (2010/05/22)
 URL= http://www.itoigawa-kanko.net/spot/tsukimizunoike/
 b0250968_9285773.jpgb0250968_9303924.jpg糸魚川市の東部の山間の小さな池であるが自生する藤の開花時には多くの鑑賞者が訪れるという。その成り立ちは、地すべりの窪地に湧水がたまってできたので、水位は季節によって変動するという。静かな佇まいの池のまわりには巨大な岩が立ち並び、b0250968_9313456.jpg深い森林の緑の中、紫の山藤が繁茂して、あたかも万葉の世界に紛れ込んでしまったように感じたのを憶えている。池の周りの遊歩道を巡ると自然が織りなす絶妙の和風回遊庭園の趣きであった。
 因みにこの月不見の池に向かう辺りの家々にも道に面したところに、藤の鉢植えが置かれ風情を愛でる住民の思いを感じたのである。

②月華山かねこつつじ園 (2010/05/22)
 URL= http://www.itoigawa-kanko.net/spot/gekkazan_kanekotsutsuzi/
 駅を挟んで今回の大火による被災地域とは反対側の小高い丘には一面の白躑躅を擁する庭園写真)がある。JRの駅から徒歩で10分ほどである。金子さんという方が、個人の庭園を無料で開放されているものである。
 先代の金子鶴松さんから引き継いだ約3,500株もの躑躅を二代目の和夫さんが世話をされており、毎年5月の半ばに見頃になるという。この時期には、毎年1万人もの観光客が訪れており、私が訪ねたときにも、多くの家族連れが園内の径に連なり、眼下に望む街並を背景に清純な白い花の広がりと匂いを楽しんでいた(写真)。
b0250968_9453066.jpgb0250968_945519.jpg

<日本列島の地溝がもたらす特異な風光>
 「高浪の池」は市街から姫川を南に遡った標高540mの高原地域にある。車では30分程である。
 (URL= http://www.itoigawa-kanko.net/spot/takanaminoike/
b0250968_9531555.jpg その小さな高原の池は、白馬山麓国民休養地内にあり、一年中満々と水をたたえているという(写真)。この池は過去の大きな地滑りによってできたと言われている天然の池で、明星山を背景にこの池を抱いた高原保養地の景観はロマンチックでもある。 豊かな自然が残るこの池では巨大魚の目撃が相次いだといわれる。私は家内とともに湖畔の交流センターに車を止め、深緑に包まれた池を周回したが、まさに欧州の高地の小さな湖を散策している様な心地よさを覚えた。
 高浪の池から、山道をすこし車で走ると、姫川の支流の流域の「小滝川ヒスイ峡」に出る。
(URL= http://www.itoigawa-kanko.net/spot/takanaminoike/
b0250968_9534299.jpg
 その小滝川硬玉産地は、高浪の池の背後に聳えていた明星山の大岩壁が落ち込んだ川原の一帯であり、糸魚川を象徴する日本随一の良質のヒスイの産地とされる。私達が訪ねたときも、大きなヒスイの原石(?)が急峻な谷川にゴロゴロしているのを目の当たりにすることができた(写真)。
 この産出地の発見は、前述の相馬御風によるところが大きいという。日本では縄文時代の遺跡からもヒスイの加工品(勾玉など)が出土していたが、御風は、古事記の「沼河姫」の伝承に、「糸魚川市付近を治めていた豪族の娘、奴奈川姫に大国主命が出雲から求婚。その際に奴奈川姫から大国主命に翡翠が贈られた」という神話があることから、この地にヒスイがあるはずという思いに至ったとされる。これを受けて1939年に初めて、この地域の探査が行われ、学術的にもヒスイ原石の産地として糸魚川が認められたという。前述の天津(あまつ)神社と同じ境内にある奴奈川(ぬながわ)神社は、この地のヒスイを支配する祭祀女王である沼河比売(なぬかわひめ)を祀った社なのです。
 ただし、現在はこの小滝川流域での岩石の採取は禁じられており、ここから流れ出たヒスイが姫川を下り、市内の海岸に打ち上げられたモノについては愛好者が採取することができる。この硬質のヒスイの生成はフォッサマグナ(日本列島の地質学的な大きな溝)の形成と深く関わっているようであるが、専門家の探究に委ねたい。

 以上、私自身の長岡在住期の糸魚川体験を踏まえて、糸魚川の風土、文化そしてこの地の人物についていくつかの心象を綴ってみた。こうしてあらためて糸魚川という地を振り返ってみると、この地の出身で、東京での活動後、糸魚川に戻って良寛研究を中心に文芸活動に打ち込んだ“相馬御風”という人物を抜きには語れないことがわかった。そして、さらにその根底には糸魚川という地勢からの加賀の前田の“誇りと風雅”、上越の上杉の“義”、そして大愚良寛の“純心さと人への情け”が横たわっているように思えるのである。
 今回の強風下での特異な飛び火による延焼を伴った大火においても一人の死者も出さず、沈着な避難、消火活動が行われたこと、そしていま1ヶ月を経て行政、住民の強い絆で復興に向けて歩み出していることは、まさに糸魚川の人々の“心意気”によるものであろう。

 全国からの多くの皆さんの様々な形での応援を得て、一日も早い復興がなされることを願っている。

                             (2017/01/27記)
     ============= 063.gif ==============
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# by humlet_kn | 2017-01-28 10:03 | Comments(0)

[No.88] 人間生活と技術(3): 高齢運転者による事故を防ぐために(その2)

 <<< No.87からのつづき >>>
(4)高齢運転者の事故低減化に向けた対策の現状と新たな技術について
 高齢社会の本格化を控えて上述のような高齢者による自動車運転事故を抑制するための方策として、(S1)運転免許制度の改革(S2) 道路・交通システムの設計・管理上の対策、そして(S3)自動車の安全運転システムの技術的進化がなされ始めている。これらについて、前述の最近の高齢者運転事故事例の認知的情報処理過程における要因分析を踏まえて、その効果や限界について考えてみたい。

(S1)運転免許制度の改革
S1-a1) 運転免許更新時の「高齢者講習」
:現在、70歳以上の高齢者に課せられている制度で、1998年から実施されてきた。県公安委員会により指定された自動車教習所で交通規則の確認をビデオと講習で行った後、運転適性検査や実車指導などを受ける。2007年からは、75歳以上の方は、その他に記憶力や判断力を調べる講習予備(認知機能)検査を受けなければならなくなったが、運転適正や判断力が低いとされても直ちに免許停止となることはない。現状では本人の自覚を高め、免許証の自主返納を促すというのが実態である。
 著者自身、つい最近、70歳での免許更新に当たり、高齢者講習を受けたので、若干のコメントをしておこう(他の方の体験記[6]も参考になります)。最初の交通規則の確認に関する座学では、近年改訂された自転車利用や環状交差点での交通方法の規定の説明の他、高齢者マークのデザイン変更の説明があり、現在は高齢運転者に義務付けはなされてはいないものの周囲の運転者は対象車の保護を義務付けている。その背景には、このマークが他車による幅寄せ・割り込みなどのいたずらを誘発する事例があったことによるという。b0250968_14545061.jpgそのほか先進安全自動車(ASV)についての簡単な説明もあり、衝突被害軽減ブレーキや車線遺児支援装置の有効性の限界に触れられたのは良かった。
 運転適性検査では、竹井機器工業製の運転シミュレーター(写真3)による前面ディスプレイ上の刺激に合わせたアクセル、ブレーキ選択反応検査と曲がりくねった道路の車線走行でのハンドルとペダル操作による注意配分・複数作業検査があったが、著者の成績は同年齢としてはやや劣る結果になった。振り返ってみるとこのモックアップのような運転シミュレータの操作・反応特性になかなか順応できなかったのではないかと思った。同程度の操作でどの程度の反応が現れるのかがつかみきれないのである。これも高齢による学習能力の低下なのかもしれない。本シミュレータによる検査は本来、SRKモデルでみればS階層レベルのスループットの反応適性を検査すべきものと考えられるが、検査装置に不慣れなうちはR階層レベルのルール獲得過程の途中段階になり、もう少し予行練習をさせてから検査を行うのが適切なようにも思った。
b0250968_151942.jpgb0250968_152885.jpg その後の静止・動体視力、夜間視力(写真4)、視野(写真5)の検査ではまずまずの結果であったが、70歳を超えると急激にその能力が落ちてくることが知られていることから、自身の夜間の運転は極力避けるように心掛けているところである。
 実車指導写真6)では、実に50数年ぶりに運転教習所のコースを運転することになった。確かに免許取得時の教習では、難しいと感じたクランクや車庫入れ、縦列駐車もそれほど問題なくこなすことができた。b0250968_1563430.jpg逆に、信号や標識の指示を見落とすことの無いよう注意を集中することが高齢者にとっては重要ではないかと実感したところである。くらしの中での街中での実車運転時にも信号や標識の指示の見落としを体験しているからである。そうした意識を持って臨んだので、本高齢者講習での著者自身の運転では落ち着いて意識的に取り組み、指導員からは問題がなかったことを告げられた。実車指導では、3人一組で走行指導を受けたので他の高齢運転者の実車走行にも同乗する機会を得た。運転操作がラフな方、一時停止や交差点での安全確認が不十分な方もおられて、そうした高齢者が実際に道路を運転しているのかと思うと心配になった。
S1-a2) 認知症ドライバー対策免許制度: 来年3月施行の改正道交法では、検査で「認知症のおそれあり」と判定されると、医師の受診を義務づけられ、認知症と診断されれば、免許停止・取り消しになる。警察庁の担当者は「新制度を活用して認知症による事故を未然に防ぎたい」としている。このような対策はもちろんかなりの効果を挙げると考えられるが、高齢者自身の運転継続への欲求や願望が強い中では、認知症と診断されなくても知覚・認識、状況理解、突発事態への臨機応変な対応、反応速度の低下などは、加齢とともに進んでゆくことから、高齢運転者による事故を減らすことは容易ではないと思われる。事故等の実態を踏まえると75歳以上の高齢者の運転免許については、原則は免許証の返納を義務付け、特に必要性が認められる場合にも、多角的な検査・試験をかなりの頻度で定期的に行い、特例で認めるというような社会的合意が必要なのではなかろうか。

(S2) 道路・交通システムの設計・管理上の対策
S2-a) 認知能力低下による危険運転への知的アーバン監視カメラシステムの対策

 前述の「(a) 軽トラックが集団登校中の小学生の列に突っ込み」事故の事例のように近年は繁華街の人通りの多い街路を、信号を無視し猛スピードで突進する車による事故もしばしば耳にするようになった。一方、街中での犯罪を防ぎ、あるいは犯人の手掛かりを得るための防犯カメラの導入が其処彼処でなされるようになった。実際、上記事例の発生直後のTVニュースでは暴走する軽トラックの防犯カメラによるモニタリング映像が流されているのを思い出す。現在のICTの先進技術を考えると、そうした監視カメラシステムが知的能力を持ち複数台のカメラが連携するシステムが構築できれば、事前に異常走行する車を見つけて、その進路を予測し、大事故に至る前に抑制方策あるいは被害回避方策をとることができる可能性もある。あらたな知的アーバン監視カメラシステムへの動きを期待したい。
S2-b) ブレーキとアクセル踏み間違いを抑制する駐車場施設の工夫
 ブレーキとアクセルの踏み間違えに対しては、これまで車の技術開発による対応がなされてきたが、前述の駐車場内や施設構内での同事故の誘発要因を考えると、施設側の方策によって誘発要因を抑制できる可能性もある。
 事例(b)においては駐車場の出口の料金精算機への車の近接がしにくい場合、若干、車と精算機の間隔が微妙に空いてしまう。すると、車の窓から身を乗り出して処理せざるを得なくなると、ブレーキ・ペダルから足が離れてしまい、クリープ現象でゆっくり前進してしまうと高齢者の場合あわててアクセルをブレーキと間違えることもあるのであろう。このような駐車場の入口の駐車券発券機や出口の料金精算機と車との適切な位置関係が取りにくい状況は、しばしば経験しているところであり、発券機や精算機と車のルートの位置関係の見直しを考えたい。また、既に一部の駐車場で実用化されているICカードの駐車券で清算ゲートを一時停止するだけで窓を開けずに出庫できるシステムであれば、このようなトラブルは避けることができる。
S2-c) 高速道路の逆走を減らすための道路・インターチェンジ施設の変更
 現状のインターチェンジ付近での本線と料金所間の誘導路や本線において、逆走侵入しにくいように簡単な障害物を置いたり、走行方向を指示する案内板を設けたりする逆走防止対策の強化はすでになされているが、なかなか効果を挙げていない。そこで打ち出されたのが道路上に配置された逆走車検出システムである。国土交通省は2020年までに逆走事故ゼロを目指したロードマップを発表([7] 2016/03/29)しているが、道路管理側の新たなシステムの開発は、「各種センサーによる逆走検知と道路管制センターとの連動」である。先進のICT技術を駆使することで、実現の可能性は高いが、当該の逆走車や周辺の順走車に速やかに知らせ・対応行動をとらせるための仕組みも併せて開発する必要がある[8]
 ところで、そうした先進システムも本質的には、逆走が起きてしまった後の事後対処システムになる。本質的にはまずは、逆走を起こさせないための道路・インターチェンジ施設の変更や改善あるいは新規開発の工夫はないものであろうか?すでに図6で典型的な逆走開始状況を見てきたが、①インターチェンジから本線に向かうルートの選択を間違えて反対側の本線に入ってしまい、あわてて冷静な判断ができず意図する本線方向に向けてUターンし、結果として反対方面の本線上を逆向きに走ってしまうケース、そして②本線走行中に目的のインターチェンジへの出口ルートをうっかりして通り過ぎてしまい、そのインターチェンジ入口から本線への流入ルートを使ってその出口へ向かおうと逆走してしまうケース、③本線走行中に目的のインターチェンジに至る前に間違えて手前のインターチェンジへの出口に向かってしまい、料金ゲート前で気づいて本線に戻ろうとし、あわてて反対方面の本線からの出口ルートに侵入して逆走してしまうケース、がある。
 人間工学の観点からは、上述の①~③における運転者のインターチェンジ付近でのルート選択ミスは、ヒューマンエラーとして起こりうることと考えるべきであり、「フェイル・セイフ」[9]すなわち、そうしたミスを起こしても何とかリカバーできて、重大な事故に至らず安全を確保できる対策をとれるシステムが用意されていることが望まれるのである。そうした対策として筆者の「道路・インターチェンジ施設の変更」提案を以下に記してみよう。
 上述の①②のケースには、ミスに気付いてやむを得ず走行している本線を引き返したいと思っても、それが物理的にも経費負担的にも適わないという現状の道路施設の制約下では、運転者の気持ちが動転し、とっさに逆走行動を引き起こしてしまうことが有り得るのである。もしミスに気付いて本線を走行し始めたときに、反対の本線に引き返す手立てが用意されていれば、起こしてしまったミスを落ち着いて修復できることになる。特に高齢運転者の場合には、ミスを起こしてしまったときに気持ちの動転やあわててしまうことで、冷静な判断が失われる可能性が高いのではなかろうか。③のケースでは、ミスで一旦本線を離れたがミスに気付いたときに本線に復帰するために物理的・経費負担的にも許容された手段が用意されていれば、それまでと同じ方向の本線への復帰を落ち着いては達すことができるであろう。
 ①②のケース対策としての直接的な高速道路設計の変更策としては、何らかのUター専用道路を本線補完施設として新設することである。実は筆者の体験として、もう15年以上も前になるが、タイ国のバンコク郊外の準高速道路では上下車線の間は中央分離帯で隔たっており、物理的に左折は可能だが右折ができない道路構造になっていたのである。そのために所々に反対方面車線側に引き返すためのUターン専用道路(写真7b0250968_1532861.jpgが設置されていて、右折したい場合でも、右折したいところを行き過ぎてからUターン専用道路を使って反対側の本線に入り、目的の場所で左折するというシステムが採用されていたのを思い出したのである。
 このようなUターン専用道路をあらためて建設することが物理的・経済的に見合わないのであれば、インターチェンジやサービスエリア、パーキングエリアなどでUターンパスの機能を持つ新たな補助ルートを付加することはいかがであろうか?さらに便宜的な方策として、インターチェンジの料金所ゲートを一旦出てからすぐに反対方面本線への流入ゲートに向かう場合には本線走行を継続中として扱うことを、料金徴収システムの特別措置として認めるような運用管理上のソフト的対策を導入することでもかなりの効果が期待出来よう。
 ③のケースに対しても上記の最後の便宜的方策と同様の、インターチェンジの料金ゲートでの仮の流出・流入に対して途中下車扱いのような料金徴収システムの特別措置を認めることが、運転者のミスをリカバーする方策に成り得るであろう。

(S3) 自動車の安全運転システムの技術的進化
S3-a) 認知機能の低下による危険運転への自動車安全運転システムの技術進化

 従来の自動車の安全運転システム技術として、居眠り運転の防止のための様々なシステムが提案され、実用化されてきた。まずは、運転者の総合的な覚醒レベルの低下状態を検知し、運転者に覚醒を促すように警告・指示を与えるシステムがあり、それでも覚醒レベルの低下した状態での運転が続く場合には、前述の運転者の認知的情報処理に関するSRKモデルでみると、通常はS、R階層で問題なく処理されているであろう、標識認識、走行レーン保持、障害物知覚と必要な緊急原則・停止、適切な車間距離の確保などを、知能情報システム導入で運転行動補完するシステムが次々と実用化されてきている。
 これらの技術の大部分は、認知機能の低下した運転者への安全運転システム技術と見做すことができるが、これらの新たな安全運転システム技術への適応段階では、高齢の運転者の場合、若年や壮年の運転者とは異なる緩やかな順応過程となるか、まったく順応できない可能性もあり、その場合には新たな事故の誘発要因となることも配慮しなければならない。
S3-b)自動車に装備するブレーキとアクセル踏み間違い防止技術
 現状の当該技術は、基本的には2つのタイプに分かれる。
① ブレーキとアクセルの踏み間違え動作の発生抑制
[ペダル機構の改善]もともとマニュアル車からオートマティック車に変わったときに、右足だけでブレーキペダルとアクセルペダルを“踏み替える”ことになったが、同時に踏み込むことはなく、両ペダルが全く反対の自動車の運動をもたらすので、ブレーキを踏み込む代わりにアクセルを踏み込んでしまうと事故を誘発する危険が高まったことになる。そこで両ペダルの機能を全く異なる足操作で行うようにすれば、慌てた場合でも両者間で間違えを生じる可能性は抑制されるであろう。例えば、モーターバイクではブレーキは足で、アクセルはハンドルの握り部を回転させることで機能し、明確に分離させており取り違えは起きにくいと考えられる。現状の車のペダルの改善技術では、例えば、一つのペダルで、踏み込みでブレーキの作動を、左右への横振りでアクセル調節を行わせる機構が実用化[10]されていることから、実際の装着車でのブレーキとアクセルの選択ミスによる効果や弊害などの生起を実績データで検証したい。特に運転者が身体を後方に捻ったり窓から身をのり出したりした際に横方向へのペダル動作を誘発しないかも気になっている。
②ブレーキとアクセルの踏み間違え動作発生後の車両制御による危険回避
[アクセル踏込み強度によるエンジン制御]アクセルペダルを最大位置(ベタ踏み)まで踏み込むとエンジンを停止させるシステム[11]が実用化されている。このシステムではアクセルペダルの最深部での強いペダル反力を検知すると警告ブザーが鳴り、さらに強いペダル反力を検知するとエンジンの点火装置の電流を遮断するという。緊急ブレーキをかけようとする運転者のペダル動作特性を踏まえたものと考えられるが、エンジン停止直前にはアクセル全開で車加速の勢いがついていること、また事故回避のため必要な急加速時に必要なアクセル全開も妨げてしまうことなどが、気になるところである。
[知的な先進安全装備]現在、知的な先進システムによる安全運転技術が次々と開発されつつある。ここでは最近の日産自動車のNOTEという車種に搭載された「踏み間違い衝突防止アシスト」[12] を取り上げてみたい。

 低速走行時(クリープ走行を含)に作動する、2つの機能から構成されており、それら機能の作動時には、メーター内の警告灯とブザーで警告することで、運転者に対するアシストを行うという。
 ■ 低速衝突軽減ブレーキ機能(前進時/後退時):障害物(コンビニなどのガラスも認識)に衝突する恐れがある場合は、エンジン出力制御にブレーキ制御を加え、万一の衝突事故を未然に防ぐ。
 ■ 低速加速抑制機能(前進時/後退時):万一アクセルペダルを誤って踏み込んでしまったとき、急加速による衝突回避を支援。急加速は、エンジン出力制御によって抑制する。

 基本的には、この2つの機能は、どちらか一方の条件が満たされれば作動するものと理解される。例えば、立体駐車場や港の岸壁での駐車状況での“障害物検知”の限界や低速時の他車との衝突回避のための急加速必要時の動作などさらに複雑な状況理解も課題となるのであろう。
S3-c)高速道路逆走防止の車載機器システム
 自動車の交通ルートを制御する車載機器として既に多くの車で実用に供されているのがカーナビシステムである。現在のカーナビは、GPSにより取得した時々刻々の当該車の位置情報を、道路交通網が埋め込まれたマップ上に落とし込むとともに、VICS等で提供される当該車に必要な時々刻々の渋滞や事故等の交通障害情報、そしてそれらを踏まえたルート計画の設定を行うものである。
 今後の進化するカーナビ技術においては、交通障害情報の中に逆走車の情報を含めるのみならず、カーナビの車載機器自身が車の様々なセンサー、取得画像情報を基に目的地を行き過ぎたり、本線への流入ルート選択を間違えたりした場合には、そのことを知能情報処理で自律的に判断し、運転者への逆走防止警告や逆走回避の適切な対処策の提示を行えるようにすることや、逆走してしまった場合にはそのことを検知・判断し、その車に関する情報を道路管制センターに送付する機能なども持たせることが期待されるのである。

 以上、高齢運転者の事故低減化に向けた対策の現状と新たな技術について、事故要因のタイプとして、a)高齢者の認知機能低下がもたらす総合的危険運転によるもの、b)ブレーキとアクセルの踏み間違いによるもの、c)高速道路における逆走によるもの、の3つに焦点を当てるとともに、それらの事故への対応策タイプとして、S1) 運転免許制度の改革、S2) 道路・交通システムの設計・管理上の対策、S3) 自動車の安全運転システムの技術的進化の3視点を立てて、要点を整理したのが次表である。

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[参考文献]
[1] Jens Rasmussen: “Information Processing and Human-Machine Interaction”(North-Holland)(インターフェースの認知工学、啓学出版), 1986.
[2] 中村:今後の研究開発課題、ファジィ思考による知的情報処理(国際ファジィ工学研究所編)、コンピュータ・エイジ社、pp.32-44、1995.
[3] 篠原一光 他:「アクセルとブレーキの踏み違い エラーの原因分析と心理学的・工学的対策の提案」、平成22年度研究調査報告書(H2294)、国際交通安全学会、2011年3月.
[4] 篠原一光 他:「アクセルとブレーキの踏み違いに関係する高齢者の認知・行動特性の分析」、平成27年度研究調査報告書(H2757)、国際交通安全学会、2016年3月.
[5] 新海智久の絶対ブログ宣言「高速道路の逆走に注意しましょう」, 2015/09/28
http://tomoyan.blog.jp/search?q=%E9%80%86%E8%B5%B0
[6] M YASUDAのブログ「(275)運転免許更新のための『高齢者講習』をこうして終えました」、2013/04/28、http://21432839.at.webry.info/201304/article_5.html.
[7] 国土交通省道 路 局:「高速道路での今後の逆走対策に関するロードマップ ~2020年までに高速道路での逆走事故をゼロに~」、2016年3月29日.
[8] オムロン:逆走車両検知システム、http://www.oss.omron.co.jp/products/revcar.html.
[9] 加藤象二郎:11.3 とっさの行動と人間工学、人間工学の百科事典(大島正光監修)、丸善(株)、pp.252-254, 2005.
[10] ナルセ機材有限会社:ワンペダル、http://www.onepedal.co.jp/
[11] 石山自動車(株):SDAS-Ⅱアクセルペダル、
http://www.ishiyama-auto-service.com/sdas_2/
[12] 日産自動車:踏み間違い衝突防止アシスト、先進安全装備、NOTE、
http://www2.nissan.co.jp/NOTE/safe.html
                               (2016/12/19 記)
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# by humlet_kn | 2016-12-19 15:33 | 創りだす | Comments(0)