[No.96] 人間生活と文化(9):音楽とともに(2) ― オーディオ・ライフをふり返る(2)

<<<<< No.95からのつづき >>>>>

◆つくばでの生演奏の体験が更なるシステムアップに導く◆
 私のオーディオに関する次の節目は、就職して8年後に職場が新しい街「筑波研究学園都市」に移った(1979年)後、まもなくであった。住居も借家ながら公団住宅風のコンクリートのアパートに移り、LDKのリビング空間部も10畳ほどになって、オーディオを楽しむ環境ができたのである。そこでマイ・オーディオの改造は、これまでのシステムで最も不十分さを感じていたレコード音源の入口であるレコードプレーヤーの更新であった。これまでのb0250968_18284816.jpgターンテーブルはベルトドライブであったがその経時的劣化や回転音ノイズなどが気になってきていたのでダイレクト・ドライブを採用したのである。またカートリッジは入門機向けであったため、より高品位の音質を求めて、中級機向けとして定番となっていたSHURE製に変更したのである。
 Recode Player:  (1981/01)
 Turntable & Phono Arm:
 Victor Electro Servo Player QL-Y5
 Phono Cartridge:  SHURE M44G

b0250968_182951100.jpg これにより、わがLD空間は、娘たちのための小さなグランドピアノも置いたのでそれほどの余裕はなかったが、音楽を楽しめるバランスの取れた音楽空間と思えるようになり、私にとっては大いなる深化であった。
ここで併せて、このつくば市における暮らしの中で、私にとって重要な意味をもつことになった音楽体験を紹介しておこう。つくば市は国の科学技術振興政策によって「筑波研究学園都市」として1960年代から構想、計画され筑波大学(1973年)を先頭に各省庁傘下の試験研究・教育機関の移転が始まり、1980年に43機関の移転が完了した。そうした中で街としての中核である「つくばセンタービル」が開設(1983年)され、1985年には国際科学博覧会(TSUKUBA EXPO)が開催されたのである。
 さて、音楽との関わりでは、そのつくばセンターのシンボルとなった「ノバホール」(1983年より)(写真)の存在が重要であった。建築家・磯崎新の設計による中規模(大ホール:座席数1000席)の音楽ホールであったが、その空間構成の気品・モダンさと相俟って演奏会場としての音響効果のすばらしさで知られた。このホールは、この新しい街の住人として移り住んできた文化人の主体的活動によって支えられた「つくば国際音楽祭」が1985年以来毎年、開催されてきたのである。このノバホールでは、内外の著名な音楽家(ヤーノシュ・シュタルケル、メラニー・ホリデイ、ペーター・シュライヤー、小林道夫など)の演奏を、恐らく東京公演の2割位(?)安く、しかも近隣の日常生活のリズムの中に組み込む形で気軽に楽しむことができたのである。その中でも印象深い音楽体験は、「マタイ受難曲」 (1993年?) であった。その演奏者や演奏曲の詳細の記憶(記録)がないのが残念だが、ジョゼッペ・シノーポリ(?)の指揮で、ノバホールの決して広くない舞台一杯に楽団員、合唱団員そしてソプラノ、アルト、テノール、バスのソリストが並び、バッハの純化された宗教曲の透明な音色がホールに響き渡っていったという印象が残っている。
また、演奏会体験という意味では、声楽については、ロッシーニの歌曲で国際的な名声を獲得し始めたC.バルトリの東急文化村での初来日公演「モーストリー・モーツアルト」(1992年)の圧倒的なインパクト、そしてオペラについては、海外出張時のプラハ国立歌劇場での「魔笛」(1987年)、国内では東京での英国グランド・オペラ「カルメン」(1989年)、バイエルン国立歌劇場のサヴァリッシュ指揮/市川猿之助演出「影のない女」(1992年) 、b0250968_457112.jpg教会音楽としては、ブリュッセルのサン・ミッシェル大聖堂写真)で行われた没後200年(1991年)のイベントとしての宗教曲「モーツァルトのレクイエム」を通して、舞台/教会という大空間での音楽芸術にも入り込んでいったのである。
このような生演奏の音楽体験を様々なジャンルで積み重ねてゆく中で、手持ちのオーディオ・コンポの更なるステップアップのためには中核となるb0250968_8395694.jpgプリメインアンプの格上げが不可欠と考え、素直で締まりがあり、余計な装飾をしないが、しっかりとした音作りを感じたSONYのものを選定した。これにはSONYという会社への信頼感の高さも手伝っていた。そして、Open Reel Tape Recorderの使い勝手の煩わしさを踏まえて、Cassette Tapeによる録音への切り替えを図ったのである。
b0250968_8495693.jpg Stereo Cassette Deck SONY TC-K222ESJ (1994/10)
 Integrated Amplifire SONY 中級機 TA-FA5ES  (1995/01)


◆越後での音響・映像システムがもたらしたもの◆
1995年4月、転職に伴い、つくば市から新潟県長岡市に居を移した。つくばと同様の借家の公団住宅風のコンクリートのアパート住まいであったが、LDKの空間は狭くなり、SPも以前のようなやや大型のブックシェルフ型を置くことが難しくなったのに加えて、サイドボードの上にSPを含めてコンポシステムを設置するレイアウトに変更することにした。コンパクトなSPを「テレ音」で視聴を繰り返して絞り込み、b0250968_21482248.jpg英国のSPENDOR社製に辿りついたのであった。また、それを転機に、チューナーの更新、レーザーディスクプレーヤー(LD/CDの再生)の購入を行った。また、既に保有していたSONYのblack faceのプリメインアンプと同シリーズのチューナーへの置き換えを行った。
 SP: ブックシェルフ型 SPENDOR SP-3/1P (1996年) 
  (低域 16cmコーン型ウーファー
   + 高域 1.9cmソフトドーム型トィーター;
   65Hz〜20kHz ±3dB; W220×H400×D280mm;
   バイ・ワイヤリング対応)
b0250968_21504038.jpg Tuner: 中級機 SONY ST-S510 (1997/07)
 Laser Disk (& CD) Player: PIONEER CLD-R7G (1997/07 ?)


b0250968_21515955.jpg
 その結果、長岡での更新後のわが家のオーディオ環境は一段落したのである。
 この頃の私の音楽の指向としては、長岡在住ということもあって地元での音楽会への参加は限られることになった。市内の音楽ホールとしては、かなり年月を経た町はずれの旧市街地の市民劇場と信濃川の川西リバーサイドに新しく設けられた公園エリアの一画の「長岡リリックホール」があったが、新潟市から60km離れていることもあり、著名な音楽家の演奏会が催されることは少なかったのである。そんなことから、私の日常的な音楽体験の中心は、従来のレコード、FMに加えて、レーザーディスクに傾注することになったのである。既にこれまでも述べてきたが、オペラを楽しむという点では、レーザーディスク・プレーヤーが大活躍することになって、モーツァルトのオペラのLDをかなり揃えたりした。
 また、長岡在住中の生演奏の音楽体験としては、クラッシックでは残念ながら印象深いものはないが、内外の民族音楽については、いくつか特記しておきたい。まずは、新宿でのアントニオ・ガデス舞踊団(ガデス自身を含む)の「アンダルシアの嵐」(1997年)のフラメンコの民族舞踊としての圧倒的なインパクト、そして、海外出張時に体験したタイ国の国立劇場での伝統的なラーマキエン由来の舞踊劇(1996, 1999)や中国人コミュニティによる京劇、インドネシアのバリ島のガムラン(2010/11)、カナダのトロントでの本場のミュージカル体験(2001/08)、b0250968_220414.jpg米国ニューオリンズの街中にあふれるジャズ写真:Preservation Hallでの演奏会)の活気と哀愁を醸し出す調べ(2001/08)などがあった。翻って長岡周辺では、佐渡の鼓童の和太鼓による躍動、盲目の女旅芸人が三味線を携え唄った「越後の瞽女唄(ごぜうた)」、柏崎の500年の歴史をもち、初期の歌舞伎の様相を残すといわれる芸能舞踊「綾子舞」、そして富山県八尾の哀愁を帯びた胡弓の音色と男女の農民踊りの「おわら風の盆」などが、印象深いものであった。

 これらを背景とした、私のオーディオシステムの再構築結果の統合的な音質の特徴は以下の通りであった。音源の入口、音量増幅・音質修飾、そして出口の全段を通して、中級機のレベルを達成し、中音域・高音域の締まりとクリアーさ、そして一定の厚みを引き出してくれた。ただし、低音域や瞬間的な音の立ち上がりやインパクトは十分とは言えなかった。特に、宗教曲での通奏低音、フラメンコなどでの床面の衝撃音などで弱点があったように思われた。一方、オペラやアリアなどでの人の声、特に女声の豊かさ、繊細さには見るべきものがあったと思っている。もちろん、オペラや舞踊音楽ではLDという当時としては高画質の映像再生の手段を手に入れられたことは、喜びであった。

 その後、長岡での仕事も終期が近づいた頃、映像と音響の統合的記録媒体としては、DVDが進化し高画質のBlu-ray Diskが定着しつつある中で、LDの映像ソフトも急速に減少し、ついにLD Playerの製造も中止される事態至った。これにより、音響・映像の記録・再生用に以下の機器の購入を図り、LD Playerからの乗り換えを図ったのであった。
 Blu-ray Disk Recorder ( & DVD / DV) Panasonic DMR-BW850 (2009年製)

◆そして定年退職を経て今・・・◆
 私自身の定年退職は、2012年3月末であった。これを契機に、実家の旧家屋を建て替え、鎌倉に戻った。当初はLD空間(30㎡=18.5帖)に、長岡から持ち込んだTVとAV(音響・映像)システムを、そのまま配置していたが、木造で空洞の内外壁体を有する特殊な建築構造とより大きな容積の室空間のためか、音場の締まりが甘くなり、長岡での音響のレベルには届いていなかった。そして5年目を迎え、家族構成の変化に伴う、宅内の各部屋の利用形態の見直しを図ることになり、家族の共有空間としてのLD空間の他に、書斎を兼ねた個人空間(11.3㎡=7帖)でのオーディオ環境を再構築することにしたのである。
 それぞれのオーディオ環境のねらいを定め、
 ①これまでの手持ちの音響システムを、共有(LD)空間の建築構造に適合させ、くつろぎの際の視聴を前提とした、より高品位のAVシステムに改変すること
 ②個的(書斎)空間に、デスクトップのPCを設置しつつ、そのデスク上に配置でき、しかし、FM放送やCD再生を中心とするコンパクトだが、できるだけ価格・性能比の高い音響システムをあらたに導入すること
を目指した。b0250968_57212.jpg
 そこで、そのねらいの実現に向けての戦略は以下のようであった。
 ①についてのシステム改変戦略の主体を、Pre-main Amplifireの買い替えとSpeaker の潜在能力を引き出すことに集中した。特に後者については秋葉原に行き懐かしい「テレ音」写真)で視聴や相談をさせてもらった上で、最終的には量販店の視聴室での聞き比べにより判断した。
 ②については、コンパクトさを追求したIntegrated ReceiverとBookshelf-type Speakerを、ネット上の解説や口コミと量販店の視聴室での様々な組み合わせによる絞り込みに傾注した。
b0250968_974124.png 選択結果の具体的な構成は、
 ①について: 新規に
 Integrated Amplifire: Marantz PM8005
  Insulator: ハイブリツドインシュレーター
b0250968_992585.jpg  (6個1組)audio-technica AT6099

を購入し、既有の
  FM/AM Tuner: SONY ST-S510
  Blu-ray Disk Recorder ( & DVD / DV):
    Panasonic DMR-BW850
  SP: ブックシェルフ型 SPENDOR SP-3/1P 
との組み合せb0250968_5281580.png
 ②について:
  Network CD Receiver: Marantz M-CR611
   CDプレーヤー/FM / AMチューナー
   /ネットワークオーディオ対応
b0250968_1533441.jpg  SP: ブックシェルフ型Camblidge Audio SX-50
   (25mm silk dome tweeter
    / 135mm treated paper cone
    / Mid/Bass Driver; 50Hz - 22kHz;
    W161 x H225 x D240 mm)
  Insulator: ハイブリツドインシュレーター(8個1組)
    audio-technica AT6098
であった。
 このように構築された音響システムに対する印象は以下の通りである。
b0250968_1535577.jpg ①については、今までのシステムに比べて、“異次元”の奥行き感、空気感が創出され、透明感も高まったのである。その結果として、Record Playerの再認識Spendor SP-3/1Pの底力・実力の実感があった。前者では同じRecord Playerから取り込まれた音源にもかかわらず新たな音像が提示されたし、b0250968_15374687.jpg中音域中心と感じていたSpendor SP-3/1Pから、通奏低音やオーケストラの音源の3次元的広がり、生みだされる空気の張り・振動感を聞き取ることができるようになったのである。そんなことから、最近はバロック音楽や合唱曲そしてカンタータなどの宗教曲の音色を味わう楽しみも追加されて来ている。

 ②については、まずは、Marantz M-CR611の価格比での高機能・高性能性に驚いている。Internet Radioの音質の高さと24時間鑑賞可能なクラッシック等の国際的な選択チャンネルの豊富さは、新たなオーディオ世界を私に期待させてくれた。そしてCambridge Audio SX-50のコンパクトなボディから湧き出る英国サウンドは、音作りの基本がSpendor SP-3/1Pと同系統であること(もちろん迫力には欠けるが)を確認させてくれたし、私にとっては心地よいものとなっている。その実力のうちに、机上におかれたコンポ・ステレオがサポートしてくれるデスク/PCワーク時の低出力の環境音の質の高さがある。

当面のオーディオ・システムの手直しは、①についてスピーカーのバイ・ワイヤリング化の効果の確認である。そして、さらに、このオーディオ・システム再構築により、魅力を実感した音楽のジャンルの広がりの中で、ライブの音楽演奏会、オペラ公演などへの参加の機会を増やして行ければと思っている。                            <20017/09/28 記>
================  完 ================
[PR]

# by humlet_kn | 2017-09-27 18:30 | 出あう | Comments(0)

[No.95] 人間生活と文化(9):音楽とともに(2) ― オーディオ・ライフをふり返る(1)

 70歳を迎えた今年、久々に自宅のオーディオのヴァージョンアップを行った。今さらの感もなくはないのだが、かつてのオーディオに傾けた情熱を、少しばかり蘇らせて、ちょっぴり自己満足を味わっているので、このブログでも取り上げてみたい。

◆わが家にレコードプレーヤーがやってきた◆
 私のオーディオとの付き合いの始まりは、中学生の頃だった。たまたま父が大手の電機メーカーに勤めていて、何かの縁でわが家に同社製の卓上レコードプレーヤーが届いたのである。その折には私の中では音楽は別世界で、学校の音楽の授業がそうした機会だったように思われる。わが家にやってきたレコードプレーヤーには視聴用のドーナツ版のタンゴのレコードがついてきて、初めてレコードという媒体に関心を持ったことは確かであった。母は育った家庭で父親(私の祖父)が手回し蓄音機を持っていて子どものころからSP版のクラッシック音楽に親しんでいたようで、この時もすぐにベートーベンのピアノ協奏曲No.5「皇帝」のLPを購入して、私にも聞かせてくれたものであった。こんなわが家のオーディオ環境の変化が、学校の音楽の時間でのレコード鑑賞への関心に私を誘ってくれた。今でも覚えているのは、イタリア歌曲の若きテノール歌手、ジョゼッペ・ディ・ステファーノの歌声であった。授業の後、自分の意思で「ナポリ民謡」のドーナツ版を入手し、繰り返し聴いていたのである。
 その後、わが家のレコードプレーヤーは専らウェスタンやフォークソング系の軽音楽を私が当時の手軽なレコード「フォノシート」で楽しむ程度が、高校時代まで続いた。いま振り返ると、そんな中で、その後の私のオーディオ・ライフの序奏となったことがあった。それはたまに一歳上の従弟の家に遊びに行った際に、コンポのステレオシステムを楽しんでいたのに振れたことであった。手持ちのレコードを自分の好みの音質で再生するための道具に出会ったのである。そうこうしているうちに大学受験となり音楽やオーディオとは離れることになった。

◆オーディオとの再会は大学の下宿生活を始めたころ◆
 オーディオとの再会は、大学1年生として仙台で下宿生活を始めたとき(1965年)であった。自分だけの3畳の部屋で、プライベートな時間を、ラジオを聴きながら過ごすことが多くなり、民放の東北放送の夜の番組でクラッシック音楽を毎週聴く機会に恵まれたのである。b0250968_14395437.jpg同じ下宿のオペラ好きの友人とともに、下宿近くの東北放送の放送局で毎月開かれるその番組のファンサービスのレコードコンサートを体験できたことが決定的だったように思われる。さすがに放送局のオーディオシステムであり、レコードとはいえ私にとっては本格的な音響の体験であった。しかも、毎回、レコード鑑賞で使ったそのレコードは抽選で、来場者にプレゼントされていたのだが、ある時、運よく私がその栄誉に浴したのである。それがブラームスのヴァイオリン協奏曲で、クリスチャン・フェラスのVn、カラヤン指揮、ベルリンフィルの演奏であり、今でも大切にしている(写真)。
 これで私の学生生活の中で、確実なオーディオ志向が芽生えて、仙台市内のトリオ、山水、パイオニア、オンキョウなどのショールームの視聴室をしばしば訪ねて“耳を磨いた”のであった。当時は、オーディオがブームになりかけていた時代であり、私の周りにもオーデョイに関心を持った大学の友人が何人かいたし、私自身も「ステレオ」という月刊誌を継続して知識を吸収したのである。
 日常生活では、学生でバイトをしていたわけでもなかったので、雑誌に取り上げられるオーディオ機器は手の届くところにはなかったが、b0250968_14481464.jpgそれでも自分でレコードやFMを聞きたいとの思いから、仕送りから何とかひねり出して、手に入れたのが卓上のセパレートステレオの“ONKYO コンサートジュニアST-55”であった。左右のシングルスピーカー、センターボックスにはレコードとFM/AMチューナーとアンプ部が一体となったシステムであった。これで例のプレゼントのレコードを繰り返し聴き、FMのクラッシック番組に浸かった日々が始まったのであった。いま思えば音質は大したことはなかったがそれでも中学生の頃のわが家の卓上レコードプレーヤーに比べれば雲泥の差であった。
 こんな経過があったので、音楽の好みは作曲家ではブラームスとベートーベン、楽曲ではオケやコンチェルトそしてピアノソナタがレコード選択の中心になった。またFMでは毎早朝のバロック音楽の番組の影響もありバッハへの触れ合いを体験した時代であった。そんな“音楽”を聴くには、オンキョウの卓上ステレオでは限界があった。

◆さらにオーディオへの関心が高まって◆
 大学3年生の専門課程(実際は精密工学科)に進むと周囲の友人にもオーディオファンがいて仙台に自宅のあるF氏にご自身のこだわりを含めて、いろいろなメーカーを組み合わせるコンポーネントステレオの世界に導いてもらったのである。これで、今までのように音響機器メーカーの仙台の視聴室巡りも、自分が手に入れるとしたら、どのメーカーのどの機種のコンポーネントがそれぞれどんな特徴を持っているのかをこだわりを持って探求するようになっていった。当時の各メーカーに対する私の印象は、アンプ/チューナー/スピーカーを総合すると
 トリオ=チューナーとアンプ主体;すっきりとしたクリアーな音色だが、硬くて低温の厚みがない
 パイオニア=オーディアの総合メーカー;甘いソフトな音色で豊かさはあるが、しまりやクリアーさに欠ける
 山水=スピーカーに特徴があり、独特のアンプもデザインの個性も含めて、ファンがいる;骨太のしっかりした音色で柔らかさに特徴があり、きらびやかで重厚さを感じるが、繊細さやクリアーさには欠ける
 オンキョウ=スピーカーを主体としたメーカー;全体をバランスしてまとめた音作りで、そつがないが、いま一つ押しがなく、透明感や音色の美しさに欠ける
といったものであった。
レコードプレーヤーについてもコンポーネントとなると、ターンテーブルの駆動方式とアーム、カートリッジが焦点となる。駆動方式は、ベルトドライブというのが振動や回転ムラの抑制から推奨され、アームもその複雑な力と学的メカニズムからレコードとレコード針の間に如何に余計な力を生じないかが論じられた。カートリッジは、MM(ムービングマグネット)が扱いやすく音色もまあまあだが、MC(ムービングコイル)は高級コンポには欠かせず、その扱いに繊細さを要するとされた。
b0250968_14524712.jpg なお、下宿の個室で夜間に、音量をやや上げて音楽を楽しむのに、当時、「音質の良さ」で話題となっていた“コンデンサー型ヘッドフォン”の
 STAX イヤースピーカー SR-3
を購入したのはこの頃であった。
 一方、この頃のクラッシック音楽の実体験で記しておくべきことが3つあった。印象深いのは、まずは①仙台の県民ホールで聴いた、山田和雄指揮の東北大学学生オーケストラの「ベートーベンの第7番の交響曲」と、東京まで仙台からわざわざ出かけていった、①NHKイタリアオペラの東京文化会館公演(1967/09/04)のb0250968_14591425.jpg「ドン・カルロ」(オリビエロ・デ・ファブリソツィース指揮、NHK交響楽団、Bs=ロッシ・レメーニ、T=コーンヤ、S=ジョ-ンズ、Bt=ブルスカンティーニら)(写真)、そして②ゲオルグ・ショルティ指揮、ウィーン・フィル「ブルックナー・交響曲第7番」(1969/2)であった。①は、一般学生集団のオケが生み出す“音楽”が山田和雄という指揮者の統率を得て、生き生きとした感動をもたらしてくれたこと、②は、私の音楽人生のあらたな視界を切り開いてくれた、すなわち、壮大な総合舞台芸術として、人間の声を中核として作り出されているのを体感できたことであった。特に、レメーニによるフィリッポ2世のアリア「一人寂しく眠ろう」とヤーゴ役のブルスカンティーニの達者な演技がいまでも目と耳に焼き付いている。また③は、ウィーン・フィルの奏でる独特の弦の音色の厚みと温かさ、作曲家ブルックナーのスケール、そしてショルティの産み出す楽音の彩りという3つの個性のぶつかり合いと融合を身体全体で感じることができたことであった。

◆コンポーネントステレオへの道は◆
 私も大学院に進学(1969年)し、住まいも下宿を出て、通常の住居の一室を借りる生活になり、奨学金も得て、若干の経済的状況の改善もあったので、いよいよコンポーネントステレオ(コンポ)の構築を開始した。ここで問題になるのが、音響メーカーの各ショールームの視聴室利用の限界であったコンポでは、様々なメーカーの単体製品を組み合わせて自分好みの構成を作り上げてゆく必要があるが、その組み合わせの視聴体験ができないのである。。b0250968_159125.jpg当時は、現在のようにそんな組み合わせを体験できる試聴室を持った大型家電店舗は皆無であった。そこで、私は、帰省途上にあった秋葉原の電気街にあった大型家電店やオーディオ専門店を活用したのである。中でもテレビ音響(テレ音)は私にとってはパートナーであった。実際、小さいが一つのビルに多層のフロアーがあって、コンポーネント毎にコレクションがあり、それらを組み合わせて視聴できる部屋もあった。当初は、レコードプレーヤーのカートリッジを聞き比べるとともに、いろいろなステレオに関する知識を店員の方から聞きとることから始めた。
 そして、仙台のショールームでの体験とテレ音での体験と知識を併せて、最初に組み上げたのが、
b0250968_15161693.jpg SP: TRIO SC-201 中型ブックシェルフ(30cm 3ウェイ)×2
 Pre-Main Amplifire: TRIO KA4000 中級入門機
 Tuner: TRIO KT5000 中級入門機
 Recode Player:(確かテレ音による組合せ)
 Turntable: CEC (Beltdrive)  型不詳
  (写真は当時のCEC製レコードプレーヤーセットの市販品)b0250968_15171268.jpg
 Phono Arm: メーカー・型不詳
 Phono Cartridge: Audio Technica AT-21S (VM = MM系)

であった。もっとも、経済的理由で、少しずつ買い足し、スピーカーは特価の展示品でまかなったのを覚えている。
 b0250968_18372742.jpgb0250968_17494526.jpg
 肝心の、システム全体の音の特徴は、トリオを中心にしたために、迫力に欠けるが、高音が比較的鮮明で、硬いが切れのある音であり、当時の好みのオケの弦楽器とピアノの中音から高音、そしてオペラや歌曲の歌声にもある程度、焦点を当てていて価格に対する満足度はまずまずであった。

◆就職して本物の音楽体験を積む◆
 大学院を終了後、就職(1971年)そして結婚と人生における大きな節目を経て、横浜、鎌倉、そして、仕事での初めての海外生活を体験した(1977/10-1978/7)のであった。
この時期の私の音楽体験は“幅広く本物を実感”することであったように思う。1971年にはb0250968_181146.jpgNHKイタリアオペラの東京文化会館公演(9月)の「リゴレット」(ロブロ・フォン・マタチッチ指揮、NHK交響楽団、T=L.パバロッティ写真)、Bt=P.グロソップ、S=L.ラッセル、Bs=R.ライモンディら)を鑑賞し、若き日のルチアーノ・パバロッティの張りのある歌声と大きな演技に圧倒されたのである。今でも、彼のマントヴァ侯爵のアリア「女心の歌」はその容姿とともに脳裏に焼き付いている。また、その後も、ピアノのエミール・ギレリス、ヴァイオリンのレオニード・コーガンの東京公演、そして、ベルリン国立歌劇場によるドイツオペラ東京公演「ドン・ジョバンニ」(1977年)を通して味わったイタリアオペラとは全く異なるモーツァルトのオペラとドイツ系リートの発声の魅力であった。日本人演奏家では、ピアノの宮沢明子、内田光子、弦楽四重奏の岩本真理らのライブを身近に感じてきた。
b0250968_1825594.jpg この頃の私は、このように生演奏の音楽体験を積み重ねていたのに加え、その後、FM番組の気に入ったプログラムを高音質で録音したいという欲求が高まり、コンポのテープ・レコーダーとしてはTEACの名声が高かったが、AKAIという新しいメーカーの音作りを確かめて、
 Open Reel Tape Recorder (AKAI GX4440D)
を入手(1976年?)して、音源の幅が広がったのである。やはり演奏会鑑賞やレコードの購入は高根の花で、そうそう増やせるわけではなかったので、おおいに留飲を下げたのである。
b0250968_186040.jpg そして音楽体験としてもう一つ特筆すべきことは、ドイツでの10カ月間の海外研修中の地方都市AachenおよびBielefeldにおける暮らしに密着した地元のオペラ劇場での鑑賞である。Aachen(写真)は日本でいえば奈良や鎌倉にあたる歴史的な政権の中心地で、神聖ローマ帝国のカール大帝が開いた都市であった。小さいが風格と伝統を併せ持ち、若き日のカラヤンがその音楽監督を務めた劇場でもあった。そこでは何度か公演を楽しんだが、ベートーベンの歌劇「レオノーラ」が印象深かったのを覚えている。なお、Aachenの歴史ある大聖堂(Dome) でのクリスマスのミサを体験できたことも、欧州におけるキリスト教と宗教音楽との関わりを意識していく上での端緒となった。

================ <No.96へ つづく> ================
[PR]

# by humlet_kn | 2017-09-27 15:28 | 出あう | Comments(0)

[No.94] くらしの中で数学を(3) ― 経済活動への比率・割合の活用(2)

(4)時系列として用いられる比率・割合

 生活者が日々の暮らしの中で家計(収入、支出、貯蓄)を支えるときに最も気にするのが物価の動向である。勤労世帯であれば、主婦は家計簿を付けながら、月給やボーナスなどの勤労所得と預貯金・投資などによる収入、手持ちの預貯金額を踏まえて、物価の動向をにらみながら、それぞれの消費分類への支出を調整してゆくことになる。

◆消費者物価指数(CPI)
 消費者が購入する生活関連のモノやサービスなどの物価の水準を把握するための統計指標で、総務省から毎月発表されている。指数の数値は、ある基準年の物価を100としてその尺度値に変換して提示される。調査対象品目の大分類としては、食料、住居、高熱・水道、家具・家事用品、被服・履物、保険・医療、交通・通信、教育、教養娯楽、諸雑費が採用されている。消費者物価指数の変化をもって物価の動向を知ることができるので、消費者物価指数は、国民の生活水準を示す指標のひとつになっている。統計指標としては、年間の12カ月の年平均指数も公示されている。

◆消費者物価上昇率
 消費者物価指数(CPI)の上昇率のことで、消費者が購入する商品の価格の上昇度合いをパーセンテージで示したものになる。ただし、消費者物価指数は毎月集計・公表される物価指数の指標であることから、季節性の強い商品の場合、必ずしも消費者物価指数を前月のそれと比べた場合の上昇率を単純にとらえるのは難しいので、通常は年間の同月間での比較を行い、消費者物価の前年同月比の上昇率、あるいは、年間の年平均物価指数を前年と比較することが行われることに留意しておこう。
  消費者物価指数の前年同月比 (%)
   =(当月の指数− 前年の同じ月の指数)/(前年の同じ月の指数)× 100
  年平均物価指数の前年比(%)
   =(当年の年間平均指数-前年の年間平均指数)/(前年の年間平均指数)×100
b0250968_17205841.jpg


 これらについて、政府の統計調査結果の公開データから、2015年基準の年平均消費者物価指数の1970年~2016年までの時系列の推移、および、そのデータを前年比(率)%としてグラフ化して図示したのが図9 (a)と(b) である。このグラフによれば、物価の年平均の年度間の比較結果が正負の記号を含めて比率で示されるので、1970年度以降の大きな経済的な背景要因を踏まえながら物価の急激なプラス/マイナスの変動を大局的に理解するのに好都合である。
 具体的には、
 1973年に第一次オイルショック
 1979年に第二次オイルショック
 1989年に消費税率3%導入
 1997年に消費税率3%から5%へ
 2002年にわが国の景気の谷
 2008-2009年に金融経済恐慌発生、国際的な原油や穀物などの資源価格高騰
 2013年に消費税率5%から8%へ;TPPに日本が参加
などが物価の急激な変動に係っているとみられるのです。


(5) 繰り返して用いられることを前提とした比率
 ここでは、預金や借金に関わる金利に焦点を当て、家計の中での長期間にわたる預金戦略の結果の見通しや、ローン返済の戦略の見通しを得るための方法について、数学的に考察してみたい。

◆預金金利(一括、積立)

 ここでは簡単のために、期間の推移を年単位で、金利を年利でとらえるとする。金額を表す貨幣単位は、円建てでも米ドルだけでも構わないが、ここでは無次元単位としておこう。
数学的に扱うために、まず、変数記号をいくつか導入しておこう。
 t : 年数でとらえた期間経過。便宜的に期間の初期値を0としておこう
年単位は1ずつ進んでゆく
 x(t):期間経過t年における、預金金額
 a:年利、すなわち年間の預金金利(通常は%表示であるが、ここでは数学的な比率)で固定金利とする
 u:年間の積立額で一定額とする
とすると、複利で預金が増えるとすると、預金の単位期間当りの預金額の増加額は
微分方程式による表現では
 (dx / dt) = ax + u                 (1)
となるが、極短期間をΔtで、その間での預金額の増加分をΔxで表すと
 Δx = x(t+Δt) – x(t) ≈ {ax(t) + u} Δt           (2)
であり、この式(2)でΔtを限りなくゼロに近づけていった場合が式(1)になります。
 これは最も基本的な“線形の一次常微分方程式”と呼ばれるもので、その厳密な解は、以下のように得られることがわかっています。
 すなわち、初期の期間経過t=0における預金額の初期値x(0) = x0 と置くと
  x(t) = exp(at) x0 + (1/a) exp(at) (1 - exp(-at)) u  (3)
であり、わかりやすい形に書き換えると
  x(t) = p(t) x0 + q(t) u                (4)
ただし、
  p(t) = exp(at)                    (5)
  q(t) = p(t) (1/a) (1 - (1/p(t)))             (6)
となる。
ここに、exp(at)は、自然対数の底をe=2.71828182845… としたとき、eを底とし、atをべき指数とする指数関数 e^at の数学的表記である。この自然対数の底eは“ネイピア数”と呼ばれ、様々な定義がなされているが、オイラーによれば
   d [b^z] / dz = b^z                (7)
を満たす実数 b をネイピア数と定義しています。


<定期預金(一括預入)>

 一般的な定期預金は、まとまったお金を一括預け入れすることでその定期預金契約が1口成立する仕組みで、満期日までそのまま据え置くのが普通です。銀行では、6カ月、1年、3年、5年定期などがあり、金利も異なるのが普通です。ちなみに、2017年8月現在の国内の銀行の定期預金金利の幅は(300万円以上の預金の場合)以下のようである。
 6カ月定期預金: 0.01 ~ 0. 50 %
 1年定期預金 : 0.01 ~ 0.25 %
 3年定期預金 : 0.01 ~ 0.25 %
 5年定期預金 : 0.01 ~ 0.30 %
 では、現在、手持ち金x0があって、T年間の定期預金に預けて、満期でx(T)を取得できるとすると、様々な預金金利r%によって、x(T)がどの程度違ってくるかを知りたいとする。
式(1)に当てはめると、預金期間中の毎年の積立金u(t)がゼロであるのが特徴で、
 a = r/100, u = 0, x(0) = x0
と置いて、x(T)を式(4), (5)を書き換えた式(8),(9)で算出することができる。すなわち、
  x(T) = p(T)x0               (8)
  p(T)= exp([r/100]T)              (9)
b0250968_17360540.jpg


で、手持ち金x0 = 300万円を一括で預ける場合、様々な金利r%、満期期間Tについて、満期受取額x(T)を算定すると、定期預金における満期期間と満期受取額の関係がいくつかの固定金利間の比較として図10のように得られる。

 関連して、固定金利の複利での預金受取額x(T)の初期手持ち金x0に対する比率が、
  p(T)= exp((r/100)T)            (10)
であることから、両辺の自然対数をとると
  ln (p(T)) = rT/100             (11)
が得られ、例えば、金利r%の定期預金でp(T)=2.0 が実現するための満期期間T年は
  T = 100 ln (2.0) /r =100×0.69315 / r ≒70 / r   (12)
で算定できることが便宜的な方法と知られている。すなわち私達が数十年前に経験してきた高金利時代の定期預金では、金利 r = 7% の場合、10年間定期預金に預けると元本が2倍になることを示している。超低金利時代の現在では、例えば、金利r%の定期預金でp(T)=1.1 が実現するための満期期間T年は、lnを自然対数の表記とすると
  T = 100 ln (1.1) /r =100×0.09531 / r ≒9.531 / r   (13)
となり、かなりの高利回りの金利1%の預金商品が出現しても、ほぼ10年間を要することがわかる。


<積立預金(一定額の毎期積立)>
 積立定期預金は定期預金とは違い、毎月決まった預入日に決まった額を貯蓄(自動振替)できる定期預金の一種です。積立日を給料日近くに設定することで、確実に(あまり意識せずに)貯金ができ、残りの残金で生活し、くらしに無理のない貯蓄ができると人気があるようです。積立期間は定められた期間から選びますが、その満期が来ると「自動継続」されるのが普通です。
 積立期間は、3ヶ月~3年位で設定できるのが普通で、金利は、ネット銀行でも0.08~0.5%程度である。
 一般的には、元本ゼロで毎月一定額mを積み立てていくので、年当りの積立額u=12mに変換しておけば、ここでも式(1)が適用でき、当初の手持ち金x0 = 0 で、毎年の積立金u(t)=12mで、積立期間Tをあらかじめ設定するのが特徴です。金利をr %とすると、
  a = r/100, u = 12m, x(0) = x0 = 0
と置いて、x(T)を式(4), (5) (6)書き換えた式(14),(15),(16)で算出することができる。すなわち、で産出することができる。すなわち、
  x(T) = q(T) u                   (14)
ただし、
  p(T) = exp(aT)= exp([r/100]T)            (15)
  q(T) = p(T) (1/a) (1 - (1/p(T))) = p(T) (1/[r/100]) (1 - (1/p(T)))   (16)
となる。
b0250968_17443474.jpg


 手持ち金x0 = 0で毎月の積立額1万円の場合、様々な金利r%(0.01%~1%)、満期期間T(6カ月~5年間)について、満期受取額x(T)を算定すると、定期預金における満期期間と満期受取額の関係がいくつかの固定金利間の比較として図11のように得られる。ただし、グラフ上は金利間の違いははっきりせず、5年間積立後の満期受取額で、金利0.01%と1%の場合の比較でも、積立元本60万円に対して利殖分で1.5万円の違いがある程度で、殆ど積立の満期受取額において差が見られない。


◆ローン金利(分割返済)
ローンの場合は様々な形態がある。大別すると「返済回数(年数)を基準とする」か、「返済金額を基準とするか」に分かれます。住宅ローンの場合は年数によって返済金額が決定されますので、分割払いと似たタイプと考えてもいいでしょう。カードローンの場合は、毎月の返済金額を設定することによって返済回数が決定される「リボ払い」を採用していることが多く、クレジットカードでも最近はリボ払いを利用できることが多いようです。

<住宅ローン(返済年限を決める)>
 住宅ローンの固定金利は変動していますが、主要都市銀行の場合、現時点では、0.8~1.6%程度(平均1.3%)となっています。当初1000万円を借り入れ、元利を含めて毎年u万円ずつ返済してゆくとき、T年で完済すると、まず(1)式が適用できます。
借入の時点をt=0年度とし、x(t)をt年度における返済金残額とします。単位期間に返済額がどのように変動するかを考えますと、残額の増加率aはローンの固定金利分であり、残額の減少率は定額の年間の返済額 (-u)になり、返済金残額の変動率は、式(1)にならって
  (dx / dt) = ax - u                 (17)
これを解くと
(18)~(21)式が適用できます。
  x(t) = exp(at) x0 - (1/a) exp(at) (1 - exp(-at)) u   (18)
であり、書き換えると
  x(t) = p(t) x0 - q(t) u                (19)
ただし、
  p(t) = exp(at)                  (20)
  q(t) = p(t) (1/a) (1 - (1/p(t)))             (21)
において、初期の借入金をx(0 )= x0ローンの固定金利を年r%として、ローンの完済期間をT年目とすると、a=r/100で
  x(T)=0
を満たすことになります。なお、実際の返済過程を考えると、ローン返済月額 mで検討することが普通なので、上述の式におけるu=12m なる関係を埋め込んで処理することができる。
b0250968_17512734.jpg


 これらの式を用いローン金利の年利が与えられると、返済期間(年)によってローン返済月額およびローン返済総額がどのように変わるかを示したのが次の2つの図12図13になる。

 全体的傾向として、一定の金利の場合、ローン返済月額は返済期間が長くなるにつれて、逓減するが、逓減率は低下してゆく。一方、ローン返済総額は、返済期間が長くなるにつれて漸増するが、20年の場合、借入金1000万円に対し、金利1%では100万円の金利分の累積を支払うことになるのに対し、金利5%では600万円もの金利分の累積を支払うことになるのがわかる。 b0250968_17513390.jpg

 実際のローン契約では、「ボーナス月の増額返済」「全返済期間の内、初期の一定期間は返済金額を軽減する方式」「一定金利/変動金利」など様々なバリエーションが導入されている。


 以上の預金やローン返済の数学的な仕組みについて固定金利や定額の積立や返済月額を前提に式(1) ないしは(14)という一つの形式の定係数の常微分方程式による表現と理解を行ってきたが、さらに、これらに時間的な変動性や不確定性を導入することが、現実的な課題理解や解決に向けて必要になる場合もあることを付け加えておこう。
                                (2017/08/26 記)
==========================   ==========================


[PR]

# by humlet_kn | 2017-08-26 18:07 | 創りだす | Comments(0)

[No.93] くらしの中で数学を(3) ― 経済活動への比率・割合の活用(1)

 今回は、家庭におけるお金の出入り、蓄えに関して活用される比率・割合についてのお話しです。
(1)数量による尺度には4段階が
 S.スティーブンスは、私達が、日常的に用いている、数量であらわされる尺度水準には4段階があることを提唱した(1946年の論文「測定尺度の理論について」"On the Theory of Scales of Measurement" [1])。すなわち、名義尺度/順序尺度/間隔尺度/比率尺度である。それぞれを簡単に説明すると、b0250968_14512970.png



 名義尺度:
 尺度付けがなされた対象を互いに識別するためのラベルとしての数字であって、同じ数字を付された対象は同じカテゴリーに属することがあっても、異なる数字が付された場合、それらの数字の大小、差や倍率などは全く意味を持ちません。 例えば、TVの公共放送に割り当てられたチャンネル番号、バスの系統番号、郵便番号図1; Wikipediaより)、自動車の登録ナンバーなど




b0250968_14543757.jpg


 順序尺度: 対象に割り振られる数字は測定する性質についての順序を表しています。数字の大小によって、着目する性質の強弱や多少について、等しいかどうか、順序による比較ができます。
 例えば、年間に発生した台風の番号付け、衣服のサイズ図2;婦人服のサイズ表一部)、鉄道の路線内の始点から終点に向けて順に付された駅ナンバー、商品やサービスの評価段階を示す数値レベルなど

 間隔尺度: 対象に付された数字は順序としての意味を持つのみならず、さらに対象a,b間の数字の差と対象c,d間の数字の差が等しいということは対象a,b間と対象c,d間の間隔が等しいということを意味する。b0250968_14584780.jpg


 つまり測定値のペアの間の差を比較して、差が等しいか、差の間の比率はいくつか、をとらえることにも意味があるのです。すなわち、尺度値の加減の演算が意味を持つことになります。また、尺度上のゼロ点は便宜的な意味をもつこともありますが、基本的には尺度間では任意に定めることができて、負の尺度値も意味をもつことになります。例えば、℃で表された気温/水温/油温図3)、カレンダーの日付、年号など。


b0250968_15021231.png


 比率尺度: 対象に付された数字は間隔尺度の性質を持つだけでなく、さらにその中の対象ペアの尺度値間での乗除の演算にも意味があります。すなわち、比率尺度のゼロ点は絶対的な“無”を意味しているのです。ただ異なる比率尺度体系間で、その数値尺度の単位は任意性があるので、比率尺度間ではスケール変換が意味を持つことになります。
例えば、物品の個数・量、人口、年齢、面積、距離、収入・支出など社会的な諸変数、物理的な基本尺度である長さ/重さ/時間を表す数量(図4)、そして派生的に面積/体積/密度/速度を表す数量、そして今回主として取り上げる「金額」はその代表である。
 [1] S. S. Stevens (1946), “On the Theory of Scales of Measurement”, Science 103 (2684): 677-680, doi:10.1126/science.103.2684.677

(2)「金額」における「比率・割合」
 上述で見たように、金額」は比率尺度の代表であり、くらしの経済を実践する中では、その比率尺度としての意味と「比率・割合」を用いた「金額」の操作が重要になる。
b0250968_15221383.jpg


 「金額」は実際には「貨幣」によって運用されるので、それが“円”であれ“米ドル”であれ、“ユーロ”であれ、それぞれの貨幣体系の中で閉じて使われるなら、完全に比率尺度の要件を満たしている。そして、異なる貨幣体系間では為替レートを用いて変換が可能である。すなわち、任意の貨幣体系において、金額ゼロは絶対的なゼロであって、貨幣体系が異なってもその意味は普遍である。また同じ貨幣体系内では、その金額を表す数値間で比較した際、両者の数値の比率は、そのまま金額で表された価値の比率になっているのである。また、尺度値がゼロを基点に正負の値をとるときは、例えば家計図5 家計簿イメージ)の“収入”に着目すると、正の値は実質の収入を表すが、負の値は借金を意味することになるのである。
 同じ貨幣体系内での金額a,bを比較する時、収入aは収入bの r = a / b 倍に当たるという表現が意味を持ち、実際はrを%表現することも多い。
例えば、「エンゲル係数」(Allaboutマネーより)は、「食費にかかるお金が家計(消費支出)の何%を占めるかで表されます。

  エンゲル係数(%)=食料費÷消費支出×100

 エンゲル係数が高くなるほど、食費以外にお金がまわせない状態で、生活は苦しいとされています。総務省の家計調査によると終戦直後、昭和22年の全世帯のエンゲル係数は63%と高く、昭和28年は48.5%、昭和37年は39%、昭和54年は29.2%と、生活が豊になるにつれエンゲル係数は下がっています。2013年の全世帯のエンゲル係数の平均は22.1%でした(全国・二人以上の世帯のうち勤労者世帯)。」

b0250968_15265083.png


 また銀行の預金額が、ある時点でbであったものが1年後にaに増えた場合は、(a-b) と b の比率Rは、年利 R = (a – b) / bで増えたととらえられるのである。 外国為替レートも国際的な経済動向に関わる指標になるが、個人の海外旅行や外貨預金、投資などでも重要な意味合いをもっている。米ドル/円が110.74ユーロ/円が130.33といった交換率としての為替レートは日々目が離せないことになる(図6 最近の米ドル(赤)、ユーロ(青)、ポンド(緑)、豪ドル(オレンジ)の対円レートの変遷;2017/05/10を100として; http://sbk.jfx.jiji.com/market/chart/schart/)。

 以下、くらしにおける「金額」に関わる実用的な「比率・割合」の理解や活用・操作について数学的な観点から述べてみよう。

(3)単発で用いられる比率・割合
 ◆スーパーのディスカウント・サービス
b0250968_16455123.jpg


 店舗全体の売り出しの広告チラシ(図7)では、「〇%OFF」「ポイント〇倍」という表現が踊っている。
 地元のいくつかのスーパーマーケットの「ポイント」の運用方法を調べてみると、
(P1) もとまちユニオンの場合 216円につき1Pの発行→500Pで500円相当のポイント券
(P2) 東急ストアの場合 買上金額200円(税抜)で1ポイントが貯まる。手続き簡単、その場で発行。1ポイント1円換算でレジにて買い物に利用できる
(P3) たまやの場合 買物200円(税抜)につき1ポイント。年会費は無料。入会金は200円となります。500ポイントで500円の商品券が自動発行
いま、本来の1,000円分の商品の買い物をしたとすると、
(a)「10%OFF/20%OFF」では100円/200円の割引の結果、900円/800円で購入できることになる。商品単価という切り口で見ると、10%OFFで900 / 1000 = 0.9 を得、20%OFFで800 / 1000 = 0.8 を得る。
(b)「ポイント5倍/10倍」では、通常なら5ポイントのところ25/50ポイント(25円/50円の金券相当)が提供されことになる。すなわち、商品単価という切り口では、ポイント5倍では975 / 1000 = 0.975を得、ポイント10倍でも 950 / 1000 = 0.950を得る。
また、
(c)「10%/20%分の商品増量(おまけ)」では、たとえば「1000円でさんま5本のところ1本サービスして6本に」ということになるが、商品単価の切り口では、10%分増量で1000 / 1100 ≒ 0.909を得、20%分増量で1000 / 1200 ≒ 0.833を得る。
以上をまとめてみると、例えば
 「5%OFF」「ポイント10倍」「5%増量」
がほぼ同レベルのディスカウントサービスになるが、商品単価で見る限りでは
 「5%OFF」(0.950)=「ポイント10倍」(0.950) <「5%増量」(0.952)
であり、ポイントは後日の利用時の累積ポイントの制約下でのサービスであり、「5%OFF」が家計に最も優しいといえよう。一方、スーパーの経営側の立場では消費者が心理的には「ポイント10倍」を「10%OFF」より魅力的に感じているらしいことが経験知となっていて、ディスカウントサービスに「ポイント〇倍」を使うことが効果的とされているのでなかろうか。


◆消費税における“総額表示”と“税抜価格表示”

 国税庁(https://www.nta.go.jp/taxanswer/shohi/6902.htm)によれば、消費税8%の現在、消費者に対して、商品の販売、役務の提供などを行う場合、いわゆる小売段階の価格表示をするときには総額表示が義務付けられています。本体価格が10,000円の商品の小売りにおいては、まず支払総額である「10,800円」さえ表示されていればよいが、「消費税額」や「税抜価格」が表示されていても構わないのです。例えば、以下のような表示が「総額表示」に該当し、いわゆる内税価格表示になりますが、その中の消費税等、税抜きの本体価格が併記されても良いことになります。
b0250968_16533937.jpg


 10,800円10,800円(税込)
 10,800円(税抜価格10,000円)
 10,800円(うち消費税額等800円)
 10,800円(税抜価格10,000円、消費税額等800円)
また、「10,000円(税込10,800円)」とされた表示も、消費税額を含んだ価格が明瞭に表示されていれば、「総額表示」としてみとめられています(図8)。
 ここでは、消費者へのその金額表示における「総額表示」「税抜価格+消費税表示」について少し考えてみよう。
 ・「本来の当該商品価格+消費税8%分」の金額を支払って「当該商品」を受け取るという点では、客観的(数学的)には、「総額表示」と「税抜価格+消費税表示」とでは差がない
 ・「総額表示」のみでは本来価格と消費税を合算する手間が省けるものの、「消費税を徴収」されているということを意識しにくいのに対し、「税抜価格+消費税表示」では本来の商品価格と消費税を分離して捉え、その商品の商品価値や本来価格の変動に注目することができる。また、消費税の用途に対する貢献を意識することもできる。したがって、主観的な商品単価は、一見「総額表示」のみでは[商品価格+消費税]/[当該商品量]とみなされるのに対し、「税抜価格+消費税表示」では[商品価格]/[当該商品量]と評価される可能性がありそうである
 私自身の実感では、suicaによる運賃、郵便代金や食堂メニューの価格表示では「総額表示」のみ表示が増えてきているようであるが、かつて海外生活時に体験した数十パーセントの消費税ともなると、「税抜価格+消費税表示」にして、目的税としての消費税支払いを、本来の商品価格と分離して、日頃から意識するのが効果的なのではなかろうか。


<<<<<<<<<<<<<<< No.94へ続く >>>>>>>>>>>>>>



[PR]

# by humlet_kn | 2017-08-26 17:04 | 解かる | Comments(0)

[No.92] 居ごこちのよい鎌倉の・・・(4) ― 味処(その3)

 今回は、わが家の普段使いの食のお店を紹介してみたいと思います。鎌倉に戻って早くも5年を経て、退職後のライフスタイルも定着してきており、日々の食材の入手先や夫婦で気軽に楽しむときに使う食事処も見えてきました。そんな“味処”として、この鎌倉および周辺地域にあって老舗として息づいているお店に焦点を当てて、それぞれから私が感じる“こだわり”を読み解いてゆきましょう。

■ Bergfeld ■ http://bergfeld-kamakura.com/index.htm
b0250968_164376.jpg 1980年鎌倉の雪の下に開店したドイツ系のパン屋です。当時、私は30歳台前半で、10カ月の西ドイツ短期留学から戻った翌々年に当たり、住まいも鎌倉から筑波に移った時期になります。そんな訳で、このパン屋のことが気になり、西ドイツでのくらしの中で毎朝のように親しんだ“ブレッツェン” 写真1)が、鎌倉でも手に入るのかと訪ねた記憶があります(※)。しかし、当時、本場のドイツのそれとはかなり異なったものに感じたことと、ハードなライムギパンを中心にしていたような印象があり、身近に感じたことはありませんでした。その後、このお店に対して大きく印象を変えさせたのは、 “エンガディナー”というクルミやアーモンドなどのナッツをカラメルで包み込んだ焼き菓子でした。私の実家は鎌倉にありましたので、その近くの極楽寺(真言律宗;1259年創建)の境内の簡素な茶屋で、抹茶と一緒にいただくことができたのです。その味は今でも頭の中で蘇えらせることができるほどで、当時、それがBergfeldで作られたモノと分かったときのことです。その後、私は家族で筑波から長岡に30年ほど住まいしたため、実家に里帰りする際にはあまり意識することはありませんでした。
 そして2012年にあらためて鎌倉の稲村ガ崎に住まいを定めて、鎌倉市内はもちろん隣接の藤沢、葉山などのブーランジェリー(フランス系のパン屋)を中心に探してきましたが、普段使いのドイツ系のパン屋(Baekerei)としては、このお店に愛着を覚えるようになりました。b0250968_16452212.jpgb0250968_16454362.jpg現在は雪ノ下の本店と長谷店があり、共に店頭でのパンやケーキ類の販売のみならず、イートインが利用できます。お店の造りは、長谷の方が古民家風(写真2,3)で気に入っています。昨年の秋には本店、そして数日前には長谷店でイートインを利用し、「今日のサンドイッチ」のランチセット写真4)を頼みました。しっかりとした数種のドイツパンをかみしめながらドイツ風のソーセージや新鮮な鎌倉野菜を味わいました。¥1100(税別)でカップスープと飲物・デザートがついて、普段使いのランチとしては十分満足できるものです。どちらも平日のランチタイムで、ほとんど席が埋まっているものの、落ち着いて食を楽しむことができました。b0250968_16473743.jpg個人的な好みとしては、長谷店のイートインの雰囲気が好ましく、ドイツワイン向きのグラスのディスプレイも懐かしさを感じさせてくれました。店頭で購入するドイツ系のパンの味についてですが、昔の印象とは異なり、2010年にこの店も2代目に引き継がれ、フランス系とはひと味違うドイツパンの個性を主張しつつ、私達日本人のテイストに合わせるように進化しているのではないかと思っています。
(※)ドイツ暮しでの“ブレッツェン”は、最もポピュラーな朝食用のパンで、お店に依って味わいが異なるので、それを楽しむことができました。特に、印象に残っているのは、車で家族旅行をする中で、民宿を多用したのですが、その宿の手作りの“ブレッツェン”が焼きたてで朝の食卓に出されると、そのサクサクの外皮と香ばしい小麦のふわふわ感をバターやジャムを添えて味わえるのが、格別のもてなしであったのを思い出します。

■ Ble Dore ■ https://www.facebook.com/bledore.hayama/
 20年以上の歴史を持つという葉山のフランス系のパン屋です。私自身はその存在を知ったのはつい昨年のことで、それも“偶然”に近いものでした。

b0250968_1822659.jpg その記事に入る前に、前置きを少し。長岡から鎌倉に戻ってからも、新たなブーランジェリーがこの地にも続々と誕生していましたが、戻った当初に一番気になったのが、以前からの名店、比較的近くの鎌倉山の“ボンジュール”でした。閑静な住宅街のあの桜並木がよく似合うバス通りにありました。かわいいコテッジ風の建物(写真5)で、b0250968_1832347.jpg落ち着いた木づくりの内装の店舗(写真6)で、しっかりした上質の小麦粉の味わいが特徴だったのですが、残念ながら閉店してしまっていたのです(2012/2とのこと)。
 暫くして、そのボンジュールが再開(2012/7)したというので訪ねてみました(2012/12)。確かに店舗の外観・内観は以前の雰囲気を保っていましたが、バゲットや食パンには以前のテイストは感じられませんでした。その後、鎌倉山店は数年(2015/6)で閉店となり、今はその建物は他の“AROUND”(空中育成植物との共生ライフを提唱)という店として転用されています。b0250968_1845243.jpg一方、ボンジュ-ルの葉山店の方はモダンで素敵なたたずまいの建物で、レストラン兼ブーランジェリーとして継続して営業されており、一度、妻とランチに伺ったことがありました(2016/3)。雰囲気はなかなかなのですが(写真7)、その味は私達の好みとはズレていました。(実は、今回、このブログをまとめる中ではっきりしたのですが、老舗のボンジュールは“葉山ボンジュール”という名前で、2012年にすべての店舗が一旦閉店し、その後相鉄系の経営傘下に入って再開を果たし、葉山一色と鎌倉深沢のスーパーマーケットの相鉄ローゼンに併設して、ベーカリーとしてその名前を引き継いで営業されています。私も、最近は時折、そちらも利用することもありますが、残念ながら、ここで特記することはありません。そして再開/再閉店した鎌倉山店、今も営業を続ける葉山の新生ボンジュールは、経営的には老舗のボンジュールとは独立の“ブーランジェリー・ボンジュール”という名前のお店のようです)

b0250968_1855488.jpg そうこうする内に、私達は歯科治療のためしばしばマイカーで横須賀の歯科大学病院まで通院する機会がふえました。そんなある日、妻の提案で、葉山の一色の老舗洋菓子店“サンルイ島”の隣にベーカリーがあったはずなので一度立ち寄ってみようということになったのが、“Ble Dore”
 https://www.facebook.com/bledore.hayama/?fref=ts
との出会いだったのです(写真8)。何の予見も持たずに、店頭の駐車場に車を入れると、パン店舗の一角のカフェーでのランチに来られた方が待ち行列を作っている様子でした。私達は処せましと並べられた様々なフランス系のパンを一覧して、まずは基本のバゲットと食パンを購入しました。b0250968_1881742.jpg面白かったのは会計には自動支払機があって、パンのカットや包装などを行うスタッフが、お金に直接触れることのないよいようにされていたことです。そして、わが家のふだん使いのちょっと贅沢な朝食パン(写真9)の定番になったのです。
 その後のわが家にとっての朗報は、昨年の9月末に、 “葉山ステーション”という道の駅(Shopping Plaza)があらたに誕生し、その中に、Ble Doreの店舗が入ったということでした。
  http://www.hayama-station.jp/
 b0250968_1893799.jpg早速、9/26にわが家から車で30分ほどで、訪れてみました(写真10)。葉山町を中心にしたこだわりの食材、食品、料理が提供され、共通のイートインコーナーもあって、b0250968_18122138.jpg観光客にも地元民にも役立つちょっとオシャレなマーケットという感じです(写真11)。おかげで、この半年は、わが家のパン購入は、2回に1回はこのb0250968_18154149.jpgBle Doreの葉山ステーション店(写真12)に伺っていて、やはり山型/角型で断面サイズの大/小がある食パンとフランスパンのパリジャン/バゲット/バタールからの選択が欠かせません(写真13)。b0250968_18173259.jpgそして注目は、これまでに2度ほど購入したフランス産発酵バター入りの高級食パンの“エレシ食パン(山型/角型)”です。すなわち、Ble Doreの一番のこだわりは、食パンにあると思います(写真14)。
 実際に食してみての私の印象ですが、標準的な角食パン[1斤\340]とエレシ角食パン[1斤\491]をトーストしてみると、b0250968_18201225.jpgまず“エレシ”の何とも言えないバターの香りに惹かれます。そして、食感は“標準”で、しっかりした外皮と噛み応えのある内部であるのに対し、“エレシ”ではそれに加えて微妙なサクサク感が加わります。 味わいについては、“標準”で小麦の深い旨味、そして“エレシ”では発酵バターの香ばしさが口の中に広がり、プレーンなトーストでも堪能することができるのです。このエシレ角食パンは、2014年3月NIKKEI何でもランキングのぜいたく食パンベスト10で、数ある有名店を抑え、1位にランクされているのです。
 http://www.nikkei.com/article/DGXZZO67476680X20C14A2000000/

 b0250968_18221954.jpgb0250968_18225772.jpgさて、この店舗のこだわりについて、もう一つ私が気になっていることがあります。それは、写真(写真15)にもあるように、店舗内の一つの壁面には絵画が2枚掛かっているのです。手前がやや抽象画的な油彩画(写真16)であり、奥側がマリーローランサン(Marie Laurencin)のエッチングb0250968_18242674.jpg写真17)のようでした。店のスタッフに聞いてみると、これは開業時(1995年)からの社長(橋本宗茂氏)のこだわりとのことでした。ここの絵だけでも家が買えるほどだそうです。これからもこんなお店を大事にしてゆきたいと思います。

◆追記◆
 ここで、そこに至るまでの、私のフランス系のパンとの出会いについて、少し振り返ってみましょう。“フランスパン”というものを初めて意識したのは、50年も前の仙台での大学生時代のことでした。当時は下宿暮らしで毎朝、食パンを出してもらっていましたが、繁華街の東一番町に出ると“ひらつか”という洋菓子店でたまにバゲットを手に入れて楽しんだのが始まりだったように思います。大学卒業後は、東京の蒲田近くの下丸子に職場があり横浜や鎌倉から毎日通ったのですが、その途上の蒲田駅ビル(?)に“サンジェルマン”というお店があって、ここが私の普段使いの多様なフランスパンとの出会いの原点だったように思います。
b0250968_182802.jpg 1970年代末からの人工的な筑波研究学園都市での新住民としてのくらしが15年続く中では、モダンな公園・遊歩道や文化施設やショッピングモール“クレオ”が整えられてゆき、洞峰公園近くの“モルゲン”(1983年~)(写真18:2013秋に再訪)と“西武百貨店”の中の“ポルトガル”がちょっと贅沢な普段使いのパン屋になりました。モルゲンはその名前の通り、どちらかというとドイツ風で、ポルトガルの方がフランス風のパン屋でしたが、私の感覚ではそれほどその違いを意識することはありませんでした。やはりモルゲンがハード系、ポルトガルがソフト系で、前者の方が“質感”は高かったように思います。いまもモルゲンはお隣のケーキ屋“シーゲル”とともにつくば市の人気店となっているようです。
 そして長岡への1995年の転居。これはある意味では「フランス系パン文化」としては“秋の時代”だったように思います。転居当初は例の“サンジェルマン”が長岡駅ビル内にあったのですが、すぐに消えてしまい普通の街のパン屋さんが市民のくらしに浸透していました。そんな中で唯一“ラ・ボントーン”という小さなフランス系パン屋が住宅街の一角にあったのでそれを時折利用することではじまりました。長岡は「お米」の食文化の中心地であり、「しらゆき米」「日本酒」「煎餅(あられ)」「笹団子」が日常的にも土産としてもすぐれモノという位置づけでした。しかし、長岡在住の17年の間には、確実にパン需要も増えてゆき、“ラ・ボントーン”も場所を移して(http://www.bonton.jp/)、立派なフランス系パン屋として市民に定着してきたように思いました(写真19)。b0250968_18292186.jpgただし、ここのパンは焼きがしっかりしていて、フランス系パンに求められるハードな外皮の中にサクサクした内部の食感を求めるのは難しかったというのが実感でした。
 そんなときブーランジェリーとして気に入っていたのは、b0250968_18305149.jpg東京大丸デパート地階の “ポール・ボキューズ”写真20)でした。長岡から仕事で上京する度に必ず立ち寄り、パンドミー、バタール、プチ・ミッシュというプレーンなものを携えて家に戻りました。多くの手の込んだ菓子パンや食事パンがありますが、これらプレーンなパンは価格対満足比が抜群で、特にパンドミーは、フランスパン生地で作った食パンという感覚が新鮮でした。
 ただし、Ble Doreと比べると、価格帯がもちろん異なるのですが、歯応えはサクサクで、軽めのパン作りとなっていて、旨味ではやや劣るというところでしょうか?パリの街角のパン屋の雰囲気をちょっぴり味あわせてくれるこの店には、今も東京へ出かけたときには引き続き利用しています。
                             (2017/05/16記)
****************  ******************
[PR]

# by humlet_kn | 2017-05-16 09:37 | 出あう | Comments(0)